村上礼華(ビーチバレー選手/ダイキアクシス)第2回「憧れとは異なるポジション」
兵庫県淡路島南部の三原郡三原町(現南あわじ市)で村上礼華(ダイキアクシス)は生まれた。三原町は山や川があり、隣接する南淡町まで行けば海もある。村上はそんな自然溢れる町で健やかに育った。
村上は人見知りな性格。母・ひろえによれば、「恥ずかしがりなところはありますが、慣れてくるとニコニコして人懐っこい子供でした」という。打ち解ければ、明るい笑顔を見せる。「スポーツ全般が好き」とは本人。活発な少女は外でよく遊んだ。村上は当時を振り返り、「自転車で溝に落ちて近所の方に助けてもらうことも何度かありました」と笑った。
幼少期の習い事は習字、ピアノ、水泳。両親の意向でもある。母・ひろえは言う。
「字を書くことは、その後も絶対することなので、小さい時から習わせました。ピアノは脳の発達に良いことと聞き、“何かの役に立てばいいかな”と考えました。水泳は海に囲まれた島で生まれ育ったのに私は泳げなかった。早いうちに水に慣れさそうと思ったんです」
村上は特に3歳から始めた水泳に「やっていくうちに、どんどんハマッていきました」と夢中になった。水泳は小学校に入学してからも続けた。
小学1年の夏からはバレーボールも始めた。親から勧められた習い事とは違い、自ら希望した。当時日本代表で活躍し、脚光を浴びていた大山加奈に憧れたからだ。本来は4年生からチームに入れるが、全校生徒が40人も満たないような学校だったため、早くからチームに加わることを許された。
バレーボールのコーチからはよく叱られた。「ひたすら怒られていた記憶があります」と村上。母・ひろえの証言はこうだ。
「コーチは叱ったら、そのまま来なくなる子、叱って伸びていく子を見極めてくれたんだと思います。練習でよく怒られていましたが、娘も『辞めたい』と言うこともありませんでした」
セッターを任された理由
村上が憧れた大山は“パワフル・カナ”と呼ばれた強打が自慢のアタッカーである。当然、村上も同じポジションを望んだが、身長が高くなかったこともあり、アタッカーには配置されなかった。
「1年生の時は、ポジションを決めるよりも、まず基礎を教えてもらいました。3年生ぐらいからセッターになりました」
スパイクを打つ側ではなく、打たせる側だった。母・ひろえは、その意図をコーチから聞いたことがあるという。
「なぜセッターをさせたのかを聞いたことがあります。コーチは娘の身長がいずれ高くなると見越していたそうなんです。日本人は長身セッターが少なかったこともあり、『背の高いセッターを育てたい』とおっしゃっていました」
小学生時代は怒られながらもバレー、そしてセッターの基礎を学んでいったのだ。
中学ではバレー部に所属したが、村上は「本当は水泳部に入ろうと思っていたんです」と明かす。この時点ではバレーより水泳が好きだった。しかし、彼女が入学したタイミングで水泳部が廃部になってしまった。結局、競技経験のあるバレー部を選択することになったのだ。
「1年生の時は上級生にレギュラーのセッターがいましたので、私はリベロの練習をしていました。2年生からはセッター。スパイクの練習はほとんどしたことがありませんでした」
その経験が今に生きていると言えるだろう。本人も「レシーブの練習ばかりしていたこともあって、速いボールに対しての反応は、その時、身についたのかなと思っています」と口にする。
3年間で一度も全国大会には出場できなかったが、村上自身は身長が約20cm伸び、卒業する頃には170cm台になった。セッターとしては大型に分類される。彼女は兵庫県選抜の候補になったものの、最終メンバー入りまではかなわなかった。
高校は南あわじ市内の淡路三原に進学した。
「地元の高校だったので、練習試合をしたり、同じ体育館で一緒に練習をすることもありました。そこで“高校でもバレーをしてみたい”と思うようになり、入学しました」
淡路三原は、県大会で毎年上位に入る実力校。同高は夏場に、一部の部員にビーチバレーを経験させる。村上は入学後にそのことを知り、ビーチバレーを初めて経験することになる。そして高校時代の砂浜での出会いが、彼女の人生を大きく変えることになるのだった――。
(第3回につづく)
<村上礼華(むらかみ・れいか)プロフィール>
1997年1月10日、兵庫県生まれ。ダイキアクシス所属。小学1年からバレーを始める。淡路三原高校入学後、ビーチバレーを経験。高校女子全日本選手権大会で松山東雲女子大学コーチである福井(旧姓・佐伯)美香の目に留まり、同大へ入学した。17年からシニア日本代表入り。U21アジア選手権大会準優勝の好成績を挙げた。18年は全日本大学選手権に優勝し、世界大学選手権大会に出場。ジャパンビーチバレーボールツアー(BVT)で初優勝した。昨年から坂口佳穂(マイナビ)と本格的にペアを組み、BVT2戦で優勝。同ファイナル初制覇を成し遂げた。11月にはFIVBワールドツアー1starイスラエル大会を制した。身長173cm。
(文/杉浦泰介)