今年の日本シリーズは巨人と福岡ソフトバンク、2年連続の顔合わせとなりました。本拠地・東京ドームは社会人野球の都市対抗大会開催のため、巨人は京セラドーム大阪を使用します。そこで行われた第1戦、第2戦、原巨人は良いところなく連敗を喫しました。出足で躓いた原因は何か? 今回も球論にお付き合いください。

 

 全試合DHでG自滅?

 シリーズ開幕前、ソフトバンクが「セ本拠地でもDH制の導入」を提案しました。巨人もこれを受諾し、今年のシリーズは全試合DH制で行われることになりました。

 

 原辰徳監督としてはエース菅野智之が投球に集中できる、との思いもあったのでしょう。巨大戦力を誇るソフトバンク相手に一矢報いるには、菅野の好投は必須です。だが、DH制導入は好手とはなりませんでした。むしろいつも通りの野球ができるソフトバンクに有利でした。

 

 西武時代の日本シリーズ、いつもはDHの(オレステス)デストラーデがセ・リーグの本拠地ではファーストの守備についたことがありました。清原和博をサードに回したこともあり、守備のリスクが高まったものです。

 

 原監督も今回の申し出を拒否し、セ・リーグ本拠地ではDH制を採用せず、デスパイネを守備につかせていれば、結果はまた違っていたかもしれません。さらにDHがなければ千賀滉大や石川柊太ら投手は打席に立つことになり、いつもとは異なるルーティンで次の回を迎えることになります。さらにあえて歩かせるなど揺さぶりをかける策はいくらでもあります。そうした普段のパ・リーグ野球にはない部分を突くことで勝機が広がったはずです。 

 

 戦力に差があるのならば、戦略で勝負する。セ・リーグ本拠地でのDHなしというひとつのカードを失ったことは意外と大きかったと思います。

 

 巨人は丸佳浩の不調も痛いですね。広島時代から日本一には縁がなく、18年から昨年までシリーズ8連敗(第2戦まで10連敗)。そうしたこともプレッシャーやストレスとなり、本来のバッティングができていない印象です。

 

 象徴的だったのが第1戦の4回裏、ノーアウト一、二塁の場面です。先発の千賀は坂本勇人、岡本和真を連続して四球で歩かせました。2点ビハインドですが試合はまだ序盤。どう転ぶかわかりません。丸に対しても千賀は力が入り、ボール先行のピッチング。2ボール・ノーストライクからの3球目でした。見逃せばボールのアウトローのストレートを丸は打ちにいきました。結果、ショートゴロになりゲッツー。選球眼の良い丸にしては珍しいミスショットです。

 

 千賀のようなパワーピッチャーは四球で崩れることが多いんです。決め球のお化けフォークが頭にあるから、ベンチは「追い込まれる前に勝負」との指示だったのでしょうが、まだ試合序盤です。2ストライクまでは「待て」の方が得策でした。このままソフトバンクが日本一となれば、丸のあのゲッツーが今年のシリーズの流れを決めたと言っていいでしょう。

 

 同じ5番打者でもソフトバンクの栗原陵矢は打率8割超と絶好調。好打者がスランプにハマるのも、こうした確変のようなラッキーボーイが現れるのもどちらも短期決戦の日本シリーズならではです。

 

 それにしてもソフトバンクのメンバーを見ていると、15年、16年に2軍コーチをしていた頃を思い出します。第2戦で見事なピッチングを披露した石川とは、15年のチームゴルフコンペで一緒にラウンドしました。彼はゴルフはまったくの初心者で、ルールもマナーも何もわからない状態でした。私が「ティーグラウンドではこう。グリーンの上ではこう」と手取り足取り教えながら回ったものです。まあ、ほぼ子守でしたね(笑)。

 

 今回のシリーズでは真砂勇介、川瀬晃が塁に出て、打席に甲斐が入るシーンがありました。そのまんま5年前の2軍のメンバーですよ。一緒に下でやっていた選手たちが着実に育ってきているな、と嬉しくなりました。逞しくなったもんです。

 

 よく聞かれるのが「なぜソフトバンクは選手が育つのか?」ということですが、育成システムの構築や練習場など施設の充実、さらに九州という土地柄も影響しているのではないでしょうか。九州男児らしく、少々失敗しても細かいことは気にするなとばかり、試合に出し続ける。若手はそこで結果を出し、成長していく。あとは3軍制を確立していることでウエスタン・リーグだけでなく独立リーグや社会人チームとも試合を組み、特に投手は登板の機会が多いこともあるでしょう。

 

 あとソフトバンクでは育成選手ひとりひとりに対し、課題を与えています。たとえば「お前は線が細いから1年で体重を10キロアップしろ」とか、「ベンチプレス何キロを上げられるようにパワーをつけろ」と言う具合に、頑張れば達成できるような目標です。もちろんそれをクリアすれば育成ながら年俸がアップします。結果が報酬に直結するわけですから、やる気も出ますよ。

 

 日本シリーズに話を戻せば、舞台は京セラドームから福岡のペイペイドームへ。テラスがありホームランの出やすい球場だけに、打ち合いとなればソフトバンクに分があります。果たして今年の日本一の行方は……。このままズルズル負けてしまっては、しかも2年連続となれば監督の進退問題にも発展しかねません。原巨人の奮起を期待したいですね。

 

 1カ月前の話題になりますが、ドラフトにも触れておきましょう。今年の1位指名選手の中では東北楽天が交渉権を得た早大・早川隆久がいいですね。早慶戦でも見ましたが、先輩の和田毅のようなタイプで1年目から戦力、しかもエースになれる逸材です。同じサウスポーの石井一久が監督になったことも彼には追い風でしょう。大きく育っててもらいたいものです。

 

 最後に高校野球の話題を。私が臨時コーチを務めている立教新座(埼玉)は秋季大会2回戦で敗退し、また来年に向け、仕切り直しです。今の2年生はコロナ禍で実戦が少なく、2年春から3年生に割って入るというような経験もなく、なかなか成長する機会がありませんでした。それでもやれる範囲の中で精一杯に頑張っている新チームが、どう成長していくのか楽しみですね。来年は春も夏も甲子園が開催できる世になっていることを願っています。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2020年東京五輪(1年延期)の聖火ランナー(奈良県)でもある。


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