2003年7月、3年生が引退し、いよいよ小松剛たちが最終学年となった。当時の室戸高校野球部は春は3年連続準優勝するなど、着実に実力をつけていたが、甲子園への切符をつかむまでにはいたっていなかった。室戸の前にはいつも“高知3強”の分厚い壁が立ちはだかった。私立の強豪校、高知、高知商業、明徳義塾である。

「この3校は僕らにしてみたら目の上のたんこぶでした。でも、決して勝てない相手だとは思っていたわけではありません。むしろいけるんじゃないかという自信がありました。実際、高知には勝っていましたから。だから、“オレらの代では絶対に倒して甲子園に行く”。そう思っていました」

 室戸の監督に就任して7年目を迎えていた横川恒雄監督もまた、小松の学年にはこれまで以上の手応えを感じていた。
「甲子園に行ける、というより行かなくてはいけないチームだと思っていました。それまで指導してきた中でトップクラスの実力がありましたし、野球への情熱が強いチームでしたからね」

 涙まじりに訴えた甲子園への思い

 新チーム結成後、小松は主将に任命された。室戸では引退する3年生部員の投票をもとに、監督が主将を決めることになっている。先輩から「次はお前やな」と言われていた小松はある程度、自分がなることを覚悟していた。だから、監督に言われても、特に驚きはしなかったという。もちろん、責任の重さは感じていた。「どうやってチームをまとめていこうか」と考えたりもした。それでも「エースだろうと、キャプテンであろうと、これまでとやることは一緒」と、あまり深刻には考えていなかった。

 しかし、いざやってみると、苦労の連続だった。
「僕らの代は、やんちゃなヤツが多くて、まとめるのには本当に苦労しました。大会前の練習でも、すぐに集中が切れて『あぁ、だるい』って言い始めるんです。しかも、そういうのが主力メンバーに多くて……。彼らは技術はあるから、試合になれば活躍しちゃうんです。だから、余計に注意しづらかった。勝つために、一つにまとまらなくちゃいけないのに、キャプテンとしてそういう状態をつくることがなかなかできませんでした」
 小松は徐々に注意しなくなり、黙って自分の練習に打ち込んだ。口で言うより、態度やプレーで引っ張っていこうと思ったのだ。

 こんなふうに、小松が苦労することが予測できたのだろう。旧チームでエースナンバーを争い、切磋琢磨した先輩の戎井桂一郎は、小松が主将になることを人一番心配していた。
「同じピッチャーの僕としては、小松にキャプテンをやらせたくはありませんでした。エースもキャプテンもというのは、大変ですよ。まして責任感の強いヤツですからね。いろいろと悩んでしまうのではないかと思ったんです。小松にはピッチャーとしての才能も可能性もあると感じていましたから、ピッチングに専念させたいという気持ちでした」

 しかし、小松をキャプテンに任命した横川監督の考えは違っていた。
「あの時のチームは、エースとしてだけでなく、精神的にも小松が軸でした。だから、3年生の投票を見るまでもなく、私は彼をキャプテンにすることを決めていたんです。
 それと、小松には精神的に弱いところがあった。だから、負荷をかけることでタフになってほしいという狙いもありました。というのも、それまであと一歩のところでいつも最後は3強に阻まれていた。その壁を打ち破るには、最後は精神力じゃないかと。チームがもう一段階上に行くには、中核の小松自身が強くなる必要があると思ったんです」
 甲子園の切符を掴むためには、小松がキーパーソンになると横川監督は考えていたのだ。

 そんな監督の思いとは裏腹に、チームはなかなか一つにまとまらなかった。
新チーム結成後、初の公式戦となった秋季大会県予選はベスト8進出を果たすものの、準々決勝は延長11回の末、1点差で敗れた。相手は高知だった。またもや、3強の壁を破ることができなかった。

 4月、小松は3年生となった。甲子園への夢は、あとワンチャンスしか残されていなかった。
 そんなある春の日のことだ。いつものように、小松は黙々と練習に励んでいた。だが、心中は穏やかではなかった。原因は、小学生の頃からの無二の親友であり、一緒に甲子園に行くことを夢見て地元に残った升田大介のやる気のない態度にあった。小松は徐々にイライラ感を募らせていった。

「ちゃんとしろよ!」
 練習終了後、小松は我慢しきれず、升田に苦言を呈した。すると、升田はムッとした表情になった。二人で寮まで一緒に帰るのが日課だったが、その日は「先に帰るわ」と言って、升田はさっさと帰ってしまった。実は彼も練習中の態度から小松が自分に対してイライラしていることを感じ取っていた。そして、自分が副主将としてみんなを引っ張っていかなければいけない立場にいることもわかっていた。小松の言っていることは正論だと思った。だが、高校生の升田は素直になることができなかった。

 小松は一人先に帰った升田のあとを追いかけ、そして自分の気持ちをぶつけた。
「オレはお前と二人で甲子園に行きたいんや!」
 小松の目からは涙が溢れていた。
「オレだって行きたいんや!」
 そう言い返した升田の目からも涙がこぼれ落ちた。
 二人は寮までの帰り道、泣きながら本音をぶつけ合った。そのおかげで寮に着いた頃には、すっかりわだかまりは消え、二人の顔には笑顔が戻っていた。彼らが激しくぶつかり合ったのは、後にも先にもこれ一度きりだ。
「また、明日から頑張ろうや」
 改めて甲子園への決意を胸に刻み込み、二人は最後の夏に向けて練習に取り組んだ。そして、いよいよラストチャンスとなる夏の県予選に臨んだ。

 一発で散った甲子園への夢

 1回戦の高知東工業戦、先発した小松は相手打線を5安打に抑えて完封し、2−0で室戸は順当に初戦を突破した。
 2回戦の相手は追手前。小松が入学して以来、一度も負けたことのない相手だった。当然、下馬評でも室戸有利が圧倒的だった。
「室戸のコールド勝ちやろ」
 そんな声さえ上がっていた。

 ところがフタを開けてみれば、ロースコアでの接戦となった。先発した升田は8回まで1失点に抑える好投を見せていたが、打線が沈黙状態。相手投手の遅いボールにタイミングが合わず、ノラリクラリとかわされた。四死球のランナーを返し、2点を挙げるのが精一杯だった。

 試合は室戸1点リードのまま9回裏まで進んだ。升田は1死後、ランナーを出し、4番バッターを迎えた。それまで一度も打たれたことのない相手だった。
「しっかりインコース狙って、ゲッツー取ろうや」
「このバッターで終わらせよう」
 マウンドに集まった内野陣が口々に升田を激励した。升田に全幅の信頼を置いていた小松は、全く心配していなかった。
「はよ終わらせて、たこ焼き食べに行こうや」
 小松はそう言って、ファーストへと戻っていった。この後、悪夢が自分たちに襲いかかることなど、微塵も感じてはいなかった。

 升田もまた、ランナーを背負っても、動揺はなかった。ところが、内野陣がそれぞれのポジションに散らばり、マウンドに一人残された途端、なんだか嫌な予感がしたという。
 セットポジションに入ると、周りの音がスッと消えた。スタンドの声援も仲間からの声も全く聞こえなかった。
 足を上げた途端、自分を含めた全ての動きがスローモーションになった。インコースを狙ったつもりだったが、ボールは真ん中寄りの高めに入った。升田は4番バッターのバットから弾き返されたボールが、ゆっくりとレフトスタンドに吸い込まれていくのを茫然と見ていた。
「え? ホームラン? っていうことは、オレらがサヨナラ負け……?」
 その瞬間、ガクンとヒザに力が入らなくなり、ひざまづいた。しばらく、そのまま動くことができなかった。

「えっ……うわぁ、入った……」
 ファーストには放心状態の小松の姿があった。小松はレフトスタンドにボールが入ったのを見たところまでは覚えているが、そこからどうやってホームに整列し、ベンチに戻ったのか、全く覚えていない。気付いたら、インタビューを受けていたのだという。
 まさかの敗戦にチームメイトは皆、泣き崩れていた。だが、小松は現実を受け入れることができず、泣くことさえもできずにいた。

「ごめんな」
 3年間、苦楽を共にした升田は小松にそう言って泣いた。
「いいよ、構わんよ」
 小松に升田を責める気持ちは全くなかった。ただ、二人で甲子園に行きたかった。それだけだった。
「ありがとう」
 二人は握手を交わした。もう、それだけで十分だった。

「このチームなら、明徳にも勝てる」
 横川監督はそう思っていただけに、まさかの敗戦にショックを隠しきれなかった。大会前、チームの調子は非常によかった。バッティングも好調で、それ以上にチームが一つにまとまっていた。
 それなのに……。3強以外に負けるのは、小松が入学して以来、初めてだった。

「実は8回くらいに小松への継投も考えたんです。でも、彼は先発型のピッチャー。いきなり登板したら、制球が乱れて逆に打たれてしまうかもしれない。それに升田も2失点で、しかもリードしているのに降板させたら納得いかないだろうな、と思って続投を決めたんです」

 いつもなら、3年生の引退を意味する夏の大会での敗戦後にはミーティングを開き、キャプテンから最後の挨拶をしてもらうのだが、この時ばかりは3年生に掛ける言葉が見つからず、「お疲れさま」の一言で解散した。
 自分の声掛けに応えて地元に残り、エースとして、キャプテンとしてチームを引っ張ってくれた小松には「すまん」と言うのが精一杯だった。

 試合後、茫然としながら父親の運転する車に乗り込んだ小松は、ようやく負けたことを実感し始めた。「本当に負けたんだ」。「高校3年間が終わったんだ」。そう思うと涙が溢れ、とめどなく流れた。我慢し切れず、思いっきり泣いた。その間、父親はずっと無言でいてくれた。小松には何よりそれがありがたかった。

「オレらで高知商、明徳倒して甲子園に行こうや!」
 中学3年の冬、親友の升田と交し合った約束は、実現させることはできなかった。だが、小松が高校3年間で得たものは数え切れない。あの3年間があったからこそ、よき親友、よき先輩、よき指導者との出会いがあったからこそ、小松は成長することができた。そして、今があるのだ。

(最終回へつづく)


<小松剛(こまつ・たけし)プロフィール>
1986年9月26日、高知県高知市出身。小学3年に室戸市に転居し、友人の影響で野球を始める。小学5年から投手となり、高校は地元の室戸高校に進学。3年時にはエースで主将を務める。法政大学では2年春にリーグ戦デビューを果たすと、3勝をマーク。優勝のかかった大一番にはリーグ戦初完投で胴上げ投手となった。リーグ戦通算8勝9敗。今秋ドラフトの上位指名候補選手としてプロからも注目されている。180センチ、80キロ。右投右打。











(斎藤寿子)
◎バックナンバーはこちらから