2004年10月、ノブに大きな転機が訪れる。99年の渡蘭からちょうど5年。日本に拠点を移したノブは自らの意向でドージョーチャクリキの初の支部であるチャクリキ・ジャパンの館長に就任したのだ。その時から、現役格闘家としてジムでトレーニングを積みつつ、後進の指導にあたる生活が始まった。
(写真:ノブ<右>と教え子の小道洋輔選手)

 最初は教えることになかなか慣れなかったという。
「(教える難しさは)ありましたね。オランダに渡る前に空手を教えたことはあったけれど、本格的に他人を指導した経験なんてなかった。子供なんて、どう扱ったらいいか、わからなかったですね」

 今では教えることも板についてきたようだ。07年4月にチャクリキ・ジャパンの生え抜きとして初めてプロデビューした小道洋輔選手(23)はノブについて語る。
「(ノブは)僕にとってテレビで観ていたスター選手でしたから、最初は話をするのにも、緊張しました。でも、親しくなるにつれて面白い人だな、と。ノブさんはお笑いが凄く好きなんですよ。色々な冗談を言って、練習生たちを笑わせています。最初は怖いイメージが強かったですが、今では親しみやすいという印象に変わりました。
 でも、やはり指導は厳しい。僕はよく叱られるのですが、ノブさんは選手それぞれの個性をよく見て、その選手に合った指導やアドバイスをしてくれる。
 ノブさんの言葉で特に心に残っているのは『出足の一歩』ですね。『ジャブなど出足の攻撃に神経を集中させろ、練習でも特に気を遣え』とよく言われるんです。あと、『試合では絶対に気持ちで負けないように』とも言われますね。『前へ、前へ』はチャクリキの道場訓。『気持ちを前に出して前へ、前へ出て行け』といつも指導を受けています」

(写真:セコンドを務めるノブ<右>)また、ノブはジムに通う練習生に対して、自らの頭で考えることを要求する。その根底にあるのは、オランダでの経験だ。何事も指示を受ける日本とは違い、オランダでは練習量やメニューは個人の裁量に任された。自らが限界を感じれば、練習を途中で切り上げることも許された。しかし、やる気を周りに見せなければ、当然、お払い箱というわけだ。

 それは技術面についても同じことが言える。トム・ハーリック館長にはキックボクシングの基本的な技術について指導を受けた。だが、具体的な戦い方、例えばコンビネーションなどは自らの頭で考えなくてはいけなかった。その経験は自分にとって大きなプラスだったとノブは考えている。

「例えば、トムには『オマエは右のパンチが強いから、それを生かせ』と言われた。でも、その生かし方までは教えてくれない。自分で見つけるしかないんです。だから、自分で考えることが物凄く多かった。それは良かったことだと思っている。
 今、教える立場になって感じるのは、日本人は全てに関して指示を出さないと駄目だということ。その点は改めていかなければいけないと思いますね」

 あくまでファイターが本業であるが、近年はK-1の舞台から遠ざかっている。04年終盤に腰のヘルニアが発症。右足に力が入らず、踏み込んだパンチやキックができない状態だった。だが、契約の関係で05年は3試合を消化した。激痛に耐えながら、試合や練習を行わなければならなかった。当時はこれまでの格闘技人生で最も辛い時期だったという。

 06年は休養をとり、ケガの回復に努めた。現在のコンディションは良好だ。この数年、懸念していたスパーリングパートナーも見つかった。
 ジムで指導を受ける小道選手は「(ノブは)あの大きな体でジャブが上手い。練習でもノブさんのパンチは本当に避けるのが難しいんですよ。あと、プレッシャーのかけ方や、相手をコーナーに詰めて行く技術は傍で見ていても凄いと思いますね」とノブの技術に舌を巻く。
 
(写真:日の丸をバックにファイティングポーズ) 今年の4月で30歳になる。勝負の年と位置づけている。
「(30歳は)ちょうどいい年齢ですよ。20代と比べると経験を積み、精神的に安定した。一番強くなれる年齢だと思っている。(K-1には)チャンスがあれば、どんどん出て行きたい。僕はK-1の頂点に立つという夢があるが、まだ果たしていない。選手である以上、それを目指しながら毎日を過ごしている」

 道場名にある『借力(チャクリキ)』とは、文字通り、周囲に力を借りることである。トム・ハーリック会長の言葉で最も印象的なのが、この『借力』だという。
「トムには試合前に『オマエは一人で戦っているわけではない』とよく言われましたね。セコンドや練習生、親や親戚や友達が応援している、それを力にせいと。本当に力を借りるということですよね。皆のおかげでリングに上がることができる。それを忘れてはいけない』
 周囲の力を借り、ノブの格闘家としての挑戦は続く。

(終わり)

<ノブ ハヤシ プロフィール>
本名は林伸樹(はやし・のぶき)。1978年4月27日生まれ。徳島県徳島市出身。高校卒業後、単身でオランダへ渡り、名門ドージョーチャクリキの門を叩く。K-1デビューの1999年ジャパングランプリで準優勝。04年にも同グランプリで決勝進出を果たす。同年、チャクリキのオランダ以外の初の支部であるチャクリキ・ジャパンをオープン。同ジムの総本部館長を務める。戦績は34戦15勝17敗1分7KO(1ノーコンテスト)。190センチ、110キロ。








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