第18回 ”野球小僧”桑田の入閣は最大の補強
皆様、2021年最初の更新となります。本年もよろしくお願いいたします。プロ野球はキャンプインを目前に控え、いよいよ新たなシーズンが始まります。昨年は新型コロナウィルスの影響により開幕延期など考えもしなかったことが起こりましたが、今季は無事に公式戦全試合とポストシーズンゲームが行われることを切に願うばかりです。では、今月も球論にお付き合いください。
豊富な知識と経験
年明けの12日、桑田真澄の巨人入閣が発表されました。いや、これは驚きましたね。通常、コーチ人事はシーズンが終わって秋季キャンプのころには固まっているものです。昨季は日本シリーズ終了が遅かったものの、12月には21年のコーチ陣は発表されていました。この時期の桑田入閣は原辰徳監督の本気が感じられます。
この桑田投手チーフコーチ補佐の就任は巨人にとってとても大きな補強でしょう。巨人のピッチングコーチをみると3軍の三澤興一コーチ以外は全員が左投手あがりです。餅は餅屋ではありませんが、やはり右投手と左投手ではコーチングのポイントも変わってきます。その意味で右投手の桑田コーチなら、昨季までとは違ったアドバイスができるでしょうね。
桑田は巨人、そしてメジャーの経験もあり、引退後は大学で野球の勉強をして、理論も蓄積されています。過去、名投手コーチは何人もいましたが、桑田もそうなる可能性を秘めています。プロに入ってくるような選手でも、やはりコーチとの出会いは大切です。北海道日本ハムでダルビッシュ有、東北楽天で田中将大を育てた佐藤義則さんを見ていると、それを痛感します。
桑田も指導者として長くやるためには、とりあえず結果が大事です。「ただ投げ込みしたり、走り込む時代じゃない」と発言していますが、バッターはマシンを打ったりと昔とは練習法が進化していますが、ピッチャーは基本的に投げたり走ったりして鍛えるしかないと思うんですよ。桑田の経験と科学的コーチングのお手並み拝見です。
昔と違うといえば我々の時代は水泳は体や肩を冷やすからダメでしたし、水を飲むのは「バテるから」という理由でNGでした。今はそうした"迷信"はなくなっています。桑田コーチが野球界に新しい流れをつくることになるかもしれません。
そういえば楽天時代に佐藤コーチと話をしていたんですが、投手陣が外野でアップするときに必ずペットボトルを持っていくんです。アップなんて30分くらいだから「終わってからベンチで飲めばいいのに」と佐藤さんは笑っていました。私もソフトバンク3軍コーチ時代、筑後でノックをしていたときのことです。あそこは照り返しがきつくて50℃くらいになるんですよ。だからノックを受ける選手も守備位置にペットボトルを持っていきます。でもその飲み方が「ガバガバガバー」という勢いなんですよ。「ガソリンか?」っていうくらいの勢いで補給してました(笑)。まあこれらは余談ですけど、昔とは良いことと悪いことが変わってきています。桑田のような新しい考えを持つコーチは楽しみですよ。もう少し早く現場に帰ってきてもよかったと思いますけど。
桑田で思い出すのが私が巨人コーチを務めた2002年のことです。この年、桑田は最優秀防御率のタイトルをとるなど投手陣の軸として活躍しました。そんな中心投手ながら、ある日、僕にこう言ってきたんです。
「康友さん、僕、盗塁しますよ。塁に出たら走りますからサインを出してください」
まあ、勝手にコーチが判断するわけにいきませんから、原監督に相談しましたよ。結果的には「ケガのリスクがあるから、やるとしてもシリーズまでとっておこう」と、なりましたけど。
桑田は本当に野球小僧なんです。球を投げ、打ち、そして走るのが大好き。しかもセンスがある。02年6月19日の横浜戦では、代打に出て、見事にバスターを決めましたからね。野手だってバスターは難しいのに、それを初球で決めるんですから、あのときは「すごいもんだな」と感心しましたよ。
よく考えたら甲子園の通算ホームランはPL時代の清原和博がトップで、2位が桑田の5本なんですよ。普通、清原くらいの強打者なら敬遠されることもあるでしょうが、後ろに桑田がいるからそれもできなかった。あと、桑田は守備も良い。投げ終わったらまさしく9人目の野手でしたよ。
巨人時代、試合前に僕がノックを打っていると、外野でアップを終えた桑田が来て、ショートの位置に入るんですよ。それで「打ってください」と。それで10本くらいノックしてましたが、うまかったですね。グラブさばきや足の運び方も下手したらレギュラーよりもうまいんじゃないの、というくらいでした。
そんな三拍子揃った上に、ケガで苦労したという経験もある。いろいろな選手に経験を踏まえて話すことができる最強のコーチじゃないですかね。
さて、キャンプ前には自主トレが行われます。私達の時代は「自主性」などない「強制トレ」でした(笑)。当時はコーチがオフの間も教えて良かったので、多摩川のグラウンドで走らされました。コーチはオリンピック選手の鈴木章介さんですから、メニューもキツイ。グラウンド2面分をグルグル走らされるんですから、もうヘトヘトでしたよ。
今の選手は文字通り「自主トレ」ですが、それでも真面目にやっていますよね。昔の選手よりも今の選手の方が年中、野球をやっているんじゃないですか。そのあたりも昔と今では違ってきている感じです。
最近はコロナ禍により中学校の野球部も活動停止中です。そんな中、先日は立教新座中学の生徒を相手にリモートコーチをしました。立教新座高校のコーチをしていたときに中学生とも面識はあったんですが、最初はリモートだとなかなか勝手が違い戸惑いました。でも松井稼頭央や銀次がどういう守備練習をしたとか、そういうエピソードを交えてコーチをして、生徒たちも熱心にメモを取りながら聞いてくれてましたね。
このリモートコーチは昨年、奈良県の山添中学で初めてやらしてもらいました。同級生が同校で教諭を務めていて、彼から「このご時世、職場体験や社会科見学もできない。その変わりに康友、何か話してくれないか」と頼まれたんです。このときも中学生たちは熱心にノートをとり、後から感想文も送ってくれました。
新型コロナウィルスの影響でいろいろと活動に制限が出てきていますが、逆にリモートコーチという新しいことも経験できました。中学生なんて孫みたいな世代ですから、私なんて「この人誰?」って感じなんですよ。「長嶋茂雄さんが奈良まで入団交渉に来た」と言ってもピンとこない。そういうときは「キミたちのとこにJYパークが来て"NiziUに入りなさい"というようなもの」と言うとピンと来るみたいです(笑)。こうやって少しでも野球の裾野を広げられれば良いですね。では、また来月!
<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2020年東京五輪(1年延期)の聖火ランナー(奈良県)でもある。