奈良県立御所工業高校(現・御所実業)ラグビー部は、1995年度に全国高等学校ラグビーフットボール大会(花園)に初出場を果たした。2度目は2年後だったものの、3度目の出場には2度目の花園から6年の歳月を費やした。僅差の試合で勝ち切れないなど、なかなか連続出場という“殻”を破ることができなかった。この頃から監督の竹田寛行は何が足りないのかを考えた。

 

「少しの差で勝てなかったのは、私の指導力のなさ。相手との差を工夫で補うことができるのに、できていなかったことに気付かされました。僅差やノートライで勝てない試合がたくさんあった。そこで生徒やOBが涙を流す姿を見て“何かをしなければイカン”と考えさせられた時期でした」

 竹田が見つけ出した答えのひとつが、チームづくりにおけるリーダーの役割だ。それはキャプテンに責任を集めないという方針である。とりわけラグビーはキャプテンがピッチ上での“監督”を任され、判断力、コミュニケーション能力が求められるなど負担は大きい。

 

 責任を分散させる意図もあったが、1人のリーダーに委ねてしまうと、チームメイトもキャプテンに頼り過ぎてしまう側面があったという。

「キャプテンだけに頼ってしか仕事をさせないと、誰かのせいにしてしまう時間帯ができていた。うまいこといかない時こそみんなで助け合い、仲間意識を持つことが大事。だから、いろいろなリーダーをつくりました。チームの管理ができる選手、生徒指導がうまい選手、親分肌の選手……自分の得意分野でリーダーになればいい。いろいろなリーダーをつくりながらチームを構築できるようにしていこうと考えました。キャプテンの負担を減らすためにリーダーをたくさんつくる。絶対的なキャプテンをつくらないのは、誰かのせいにしたりすることを防ぐためです」 

 

 キャプテンにリーダーシップを集中させるのではなく、複数の選手にリーダーの役割を託すことは、15年と19年のW杯を戦ったジャパンでも実践された。イングランド大会は3勝。日本大会は4勝を挙げ、初の決勝トーナメント進出を果たすなど、ジャパン躍進の理由のひとつと言われている。御所工業でもリーダーグループをつくることは、好成績に繋がった。

 

 生まれ変わった御所工業。2007年度から御所東高校との統合により、現在の校名である奈良県立御所実業高等学校が新設された。御所工業と御所実業、両校の生徒がいたため、御所工業・実業として臨んだ08年度は、まさに“殻”を破り始めたタイミングだった。春の全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会で初の準優勝。花園には5年ぶりに出場した。竹田の三男である宜純(現・近鉄ライナーズ)らを擁したチームは、初の決勝進出を成し遂げた。初の全国制覇は、春の選抜で敗れた常翔啓光学園(大阪)に阻まれたが、花園準優勝は過去最高成績だ。

 

 翌年の花園はベスト8止まりとはいえ、初の連続出場を果たした。以降、安定した成績を残せるようになった。5年連続出場となった12年度は竹山晃暉(現・パナソニック ワイルドナイツ)、竹井勇二(現・トヨタ自動車ヴェルブリッツ)、和田源太(ヤマハ発動機ジュビロ)らを擁し、2度目の準優勝に輝いた。2年後の14年度も竹山、湯川純平(現・リコーブラックラムズ)、吉川浩貴(現・NECグリーンロケッツ)らで花園3度目の準優勝。現在まで最低でも2年に1度のペースで花園に進んでいる。

 

 モットーは本氣

 

 過去15年に限定すれば、花園には10回出場。4度の準優勝、ベスト4とベスト8は2度ずつと安定した成績を残している。国民体育大会は2度の優勝。御所実業はラグビー強豪としての地位を確立したと言えよう。花園で頂点に立つことは、まだ叶っていないが、竹田には胸に抱く別の夢がある。それはラグビーを通じた“まちおこし”だ。

「私はこの歳までいろいろな人たちに助けてもらってきました。そうでなければ普通32年間もひとつの学校にいられません。様々な場面でたくさんの人たちがエネルギーを使ってくれたんじゃないかなと思っています。それがあったからこそ、私も実績もつくれた。花園で準優勝4回、ベスト4が2回。国体も優勝することができました。最初の辛抱する時間をみなさんが目をつぶってくれとったんちゃうかなと思うんですよね。それを当たり前と思わず、御所市の人たちに恩返しないといけないと考えています」

 

 夏の恒例行事となった御所ラグビーフェスティバルは、数千人をまちに集める大きなイベントとなった。また御所実業は定期的にラグビークリニックを行うなど県内のラグビー普及・育成に尽力している。

「昔は“ごしょ”と呼ばれとったんです。今は“ごせ”と呼んでいただけるようになり、まちもラグビーを応援しようとしてくれている。その機運をもっと盛り上げるためには何が必要なのか。自分にできることは多くないですが、ラグビーを通じ、世の中の人をいっぱい集めたい。そういうまちづくりができたらいいと思っています」

 

“御所をラグビータウンに”――。竹田が描く夢は大きい。

「もっとまちを活性化したい。御所市をラグビータウンにできたらいいなと思っています。奈良県は11年後に国体を開催します。国体の会場を御所に誘致したい。グラウンド2面分をつくり、そこの近くをテーマパークのようなものにできれば、市内の雇用にもつながります。もっと人が集まる場所にもなりますから」

 地方都市を悩ませる過疎化は、御所市にとっても課題だ。10年前は3万人を超えていた人口は21年1月末時点で2万5020人にまで減少している。

 

 竹田の持つ夢は御所市への恩返しだけにとどまらない。スポーツや芸術などでリーダーを育成する『竹田塾』は、この春、開校予定だ。

「コロナでだいぶ出遅れている。まずはラグビーを通じたリーダー育成から始めようと思っています。異文化交流を図り、コミュニケーションスキルを磨く塾にしたいと考えています」

 好きな言葉は「本氣」だ。「本気」ではなく「本氣」である。

「本氣はやり切るために諦めないこと。逃げない、立ち向かう力ですね。それが新しい時代のリーダーに必要なことだと思います。私は昭和、平成、令和と3つの時代を生きてきましたが、今の時代、自分の行動の意味や、どうなりたいかという意思表示をできる人間は少ない。“どうしたいか”“どうなりたいか”をはっきり言えるリーダーになって欲しい。そのサポートをすることが竹田塾の核になります」

 

 高校生から始めたラグビーと、竹田は人生の半分以上の付き合いとなる。その魅力を「助け合える力、仲間意識の強さ。『繋がる』という言葉が私には一番適している。人生に必ず繋がると思っています」と語る。還暦を迎えた今もモチベーションは衰え知らず。「夢はたくさんあるんですが、すべて実現するには時間が足りませんね」と笑う。御所市への恩返しを果たせば、地域創生の夢は、竹田の故郷・徳島脇町(現・美馬市)にも広がる。「いずれは全国を回って地域創生のコーディネートをしたい」。夢に向かって本氣で取り組む。それが竹田の矜持である。

 

(おわり)

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竹田寛行(たけだ・ひろゆき)プロフィール>

1960年5月8日、徳島県脇町(現・美馬市)生まれ。中学時代は野球部と陸上部に所属。脇町高校に進学後、ラグビーを始める。ポジションはLO、No.8。脇町高、天理大学、奈良クラブを経て、現役引退。89年、御所工業高校(現・御所実業高校)ラグビー部監督に就任した。95年度に全国高校ラグビー大会(通称・花園)初出場を果たすと、08年度に準優勝。御所実業を13度の花園出場、4度の準優勝に導いている。そのほか全国大会では国民体育大会2度優勝、全国高校選抜大会で2度の準優勝。今年3月で定年を迎えるが、非常勤講師としてラグビー部の指導を続ける。

 

(文/杉浦泰介、写真/御所実業高校ラグビー部)

 


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