プロ野球における「二刀流」は口で言うほど簡単ではない。ピッチャーかバッター、どちらか一本にしぼるべきだろう。
 北海道日本ハムの梨田昌孝監督が、高校生ドラフト1巡目の大物ルーキー・中田翔について「交流戦では甲子園の時のようにマウンドに上げるかもしれない」と仰天プランをブチ上げた。

 高校(大阪桐蔭)時代、通算87本のホームランを記録した中田だが、投げても最速151キロのスピード自慢。梨田監督がピッチャーとしての魅力を捨て切れないのも分からないではない。

 しかし過去、「二刀流」で成功した例は極めて少ない。
 元阪神の遠山奨志(現阪神育成担当コーチ)のようにピッチャーとして入団し、ルーキーの年、いきなり8勝(5敗)を挙げたものの、以降はパッとせずバッターに転向、再びピッチャーに戻り、今度は貴重な左のセットアッパーとして活躍した例はあるが、同時に“二足のワラジ”を履いたわけではない。

 むしろ日本ハムが参考にすべきは1995年にドラフト1位でオリックスに入団した嘉勢敏弘(現阪神打撃投手)の例だろう。
 嘉勢は北陽高時代、スリークオーターから切れのいいストレートを投げ込む評判のサウスポーだった。打っても高校通算52本塁打の強打者。アイデアマンで鳴らした仰木彬監督(故人)は「二刀流」としての適性をテストした。

 結果は10年間、オリックスに在籍し、ピッチャーとしては136試合に登板し3勝7敗、防御率4.84。バッターとしては通算打率1割3分5厘、本塁打0、9打点とどっちつかずの成績に終わった。

 本人の気持ちの中に「バッターがダメでもピッチャーがある。ピッチャーがダメでもバッターがある」との甘さがあったわけではあるまい。しかし、もっと早めに退路を断ってピッチャーなりバッターなりに徹していれば、ドラフト1位の潜在能力が花開いたのではないか。今、本人はどう思っているのだろう。

 あの清原和博だって、桑田真澄の陰に隠れてはいたが、甲子園のマウンドに上がったことがある。中田ほどのスピードはなかったが、それでもいいボールを放っていた。

 こう言っちゃ何だが、ドラフト1巡目で指名される高校生選手は「エースで4番」がほとんどである。作新学院時代の江川卓を評して、明大の島岡吉郎監督(故人)が「投げて一億、打っても一億」といったことがある。メジャーリーグきってのリードオフマンであるイチロー(マリナーズ)も高校時代はピッチャーだった。

 悪いことは言わない。中田には最初から野手として勝負させるべきだ。アルバイトでピッチャーをやらせる暇があるのだったら、守備面を徹底して鍛え上げるべきだ。それでなくても“和製大砲”は、希少価値なのだから……。

<この原稿は2008年2月10日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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