韓国、モンゴルに連勝したA代表については、あちこちのメディアでさまざまな視点から論じられている。おかげで、決して小さくはない意味とインパクトを持つ五輪代表の快挙が、はや記憶の箱にしまい込まれてしまった感がある。

 

 ただ、中2日という五輪本番さながらの強行日程で行われた今回の2試合は、若い日本代表の面々が目標とする高みに到達した暁には、極めて重要な意味を持っていたと振り返られることになろう。

 

 0-1で敗れた第1戦での日本は、乱暴な言い方をしてしまえば、これまでの日本と同じだった。つまり、彼らにとってのアルゼンチンは、自分たちの力を試すバロメーター代わりであって、何が何でも倒さなければならない存在ではなかった。そもそも、「勝ちたい!」と切望していた選手がいたかどうかも疑問だった。

 

 第2戦の日本は違った。

 

 中盤に入った田中碧の存在が大きかったという面は確かにある。とはいえ、たった一人の選手に翻弄されるほど、アルゼンチンもヤワではない。想像するに、彼らが一番戸惑ったのは、第1戦では「自分たちのサッカー」なる殻に閉じこもっていた日本が、アルゼンチンのイヤなところを探そうとする集団に変わっていた、いや、変わろうとして変わっていった、というところではなかったか。

 

 つまり、第2戦の日本は、多くの選手がアルゼンチンを「倒しうる相手」と認識し、倒すためのサッカーをやった。格上の相手から結果をかすめ取ろうするのではなく、真っ向からぶつかりあって叩き潰そうとした。あの内容であれば、仮に結果は黒星だったとしても、わたしは満足していた。

 

 何より嬉しかったのは、基本的には世界中どんな強豪国であっても寄せ集め集団になりがちな五輪代表というカテゴリーでありながら、日本の中に、“ホットライン”と呼べそうなものの萌芽が見られたことだった。

 

 久保と相馬である。

 

 FC東京時代も、スペインに渡ってからも、久保はいい意味でエゴイスティックなプレーを続けてきた。俺がやる。俺が決める。それは、A代表に入ってからも変わらなかった。

 

 強烈な自我なくして、一流のアタッカーとはなりえない。今後も久保にはその姿勢を貫いてもらいたいのだが、対戦相手からすれば、最悪、倒しておけばいい、ということになる。実際、アルゼンチンの選手たちも、危険でないエリアでは手っとり早く久保の足を払っていた。彼らの神が、82年のW杯スペイン大会でそうされまくったように、である。

 

 だが、4年後のマラドーナは、エゴは保ちつつ、バルダーノやブルチャガといった仲間に託すことも覚えていた。同じことが、同じことになりそうな気配が、相馬との関係にはあった。

 

 理由は定かではない。ただ、久保がパスを出したくなるタイミングとエリアに、なぜか相馬はいることが多かった。まだ本人たちは自覚していないかもしれないが、五輪代表はもとより、日本代表の宝となるホットラインが誕生しつつあるのかもしれない。

 

 およそ日の丸を背負っているとは思えない不甲斐なさを露呈した時期もあった。だが、21年3月の五輪代表は、世界のどこに出しても恥ずかしくない存在へと脱皮しつつある。

 

<この原稿は21年4月1日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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