ラーメン!
26年前、留学してすぐに頭から離れなくなったのがコレだった。バルセロナにはラーメン屋がない。いや、厳密にいえばあるだけはあったのだが、一度足を運ぶと選択肢の中から消えた。
あのころは、スペインのみならず、欧州で美味しいラーメンを食べるのはほぼ不可能だった。ドイツの中華料理店で“ヌードル・ウィズ・スープ”を注文したら、ケチャップを薄めたような生ぬるい液体の中にスパゲティを入れたものが出てきた、なんてこともある。当時の欧州では、そもそも「ラーメン」という単語を知っている人自体が圧倒的な少数派だった。
いまは違う。欧州の大都市であれば、日本で食べるのとまったく遜色のないラーメンを食べることができる。しかも、行列に並んでいるのは、圧倒的に現地の方々である。ラーメンは、日本人だけのものではなくなった。
なぜなのか。
いまのところその原因を解明してくれる書籍や資料に出合っていないので、あくまでも個人的な推測なのだが、02年のW杯日韓大会が関係しているのでは、という気がする。
おそらくは史上もっとも多くの欧州人が、あの大会で日本という国に初めて足を踏み入れた。当時はまだ世界的に見て物価の高い国だったこともあり、多くの人がファストフードに流れた。そこでラーメンの味を知った人が、一気に増殖したのではないか――。
東京五輪には、海外からの観客が来ないことが決まった。大会をきっかけにして日本の魅力を世界に発信するという狙いも、インバウンドへの期待も泡と消えようとしている。それどころか、国内の観客までも認めないまま、大会だけは開催しようとの動きもあるようだ。
そこまでして五輪を開催する意味は? 返ってくる答えは予想できる。「競技者第一」。ふむ、この大会のために人生を捧げてきた選手のために、何がなんでも開催したいという気持ちはよくわかる。
では、なぜ多くの競技者にとって五輪は夢なのか。なぜ特別な舞台と感じる選手が多いのか。
超満員に膨れ上がった観客席が、ズラリと並んだカメラの放列が、選手たちに特別さを感じさせるからではないのか。
だとしたら、もし本当に無観客でも開催するのであれば、早急に考えなければいけないことがある。
観客が消え、メディアも激減した会場から、いかにして特別な空気感を選手たちに感じてもらえるか。
開会式、閉会式に力が注がれる一方で、たとえば格闘技などのイベントに比べると、入場の場面があっさりしすぎているという印象が五輪にはある。
五輪は、試合会場に入場する時から違った――選手がそんなふうに感じるきっかけを東京からつくる。東京が分岐点だったと後世に語られる大会にする。
時間はない。けれども、やらなければ、東京五輪は本当にただのカネの無駄遣いになってしまう。
そしてもう一つ。大会に参加する選手には、ぜひ日本中で使用できる無料食事券を配布してほしい。選手村の食事だけでなく、市井の食も楽しんで帰っていただく。何なら、GoToイート&トラベルの一環として。
いかがですか、菅さん?
<この原稿は21年3月25日付「スポーツニッポン」に掲載されています>
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