2011年、大矢歩は通っていた日本の高校を休学し、ドイツ・デュイスブルクに渡った。FCRデュイスブルクのトップチームは女子のブンデスリーガ1部。この年にW杯を制したなでしこジャパン(女子サッカー日本代表)の安藤梢(現・WEリーグ三菱重工浦和レッズレディース)も当時所属していた。長閑なまちであるデュイスブルクは、大矢のキャラクターともマッチした。ところが、彼女のトップチーム昇格という目標は達成できなかった。

 

 メディカルチェックで異常が見つかり、大矢は早々に日本への帰国を余儀なくされたからだ。

「ドイツでの診断結果に不安はなかったですが、言葉の壁を感じました。それよりも帰らないといけない、試合に出られないことの方が嫌でした」

 日本の病院で手術し、復帰するまで2、3カ月かかった。家族とも話し合い、ドイツでの挑戦は急なかたちで幕を閉じることとなった。

 

「判断の速さ、言葉が通じなくても伝えられる表現力など、いろいろなものを学べたと思います」

 決して後ろ向きに捉えていない。短期間のチャレンジでも得られるものも多かったという。大矢はAAC高崎ホワイトスター(現・なでしこリーグ2部バニーズ群馬FCホワイトスター)に戻り、プレーを続けた。

 

「プレーが通用しなくて帰ってきたわけじゃない。“また行ってやる”という気持ちは強かったと思います」

 そう証言するのはホワイトスター監督の石川裕介氏(現・営業本部長)だ。大矢本人も日本に帰ってきたからといって、海外でプレーすることを諦めたわけではない。不本意な帰国ではあったものの、まずは日本での成長を胸に誓ったのだった。

 

 大矢は高校卒業後の14年、当時のなでしこリーグ(日本女子リーグ)2部にあたる、なでしこチャレンジリーグの愛媛FCレディースに入団した。愛媛FCレディースは環太平洋大学短期大学部のOG、在学生を中心に結成されたチームだ。大矢も愛媛に移り住むと同時に環太平洋大学短期大学部に進学した。

 

 実は大矢には関東の大学サッカー部からの誘いも受けていた。それでも生まれ育った群馬から遠く離れた愛媛に移ったのは、恩師・石川氏の勧めがあったからだ。石川氏は当時愛媛FCのジュニアユース(U-15)を指導していた岩田直幸氏(現・Jリーグジェフユナイテッド千葉・市原アカデミーヘッドオブコーチング)を通じ、愛媛FCレディースの情報を得ていた。

 

 石川氏には、大矢をホワイトスターに慰留するという選択肢もあったはずだ。だが、それを良しとしなかった。彼女の成長を考え、“早くトップリーグでプレーさせたい”との親心が働いたのだろう。恩師に背中を押された大矢は、愛媛の地で更なる成長を遂げたのだった。

 

 サイドバックでの代表抜擢

 

「今より自信がなく、とにかくガムシャラにやっていましたね」

 愛媛に加わったばかりの頃を、大矢はそう振り返る。ポジションは慣れ親しんだボランチではなく、FWに転向した。「FWでも自分は試合に出してもらえることがうれしかった。チームに貢献できるよう頑張りました」。FWは小中学時代に経験済みのポジション。彼女は“フォア・ザ・チーム”の精神は、この頃から持ち合わせている。

 

 2年目のシーズンはリーグ戦でチーム最多の9得点をマーク。3年目は6得点を挙げた。愛媛FCレディースでの活躍が評価され、17年にはU-23日本代表に選ばれた。大矢は同代表でスペインでの国際大会に出場し、ゴールを挙げるなど結果も残した。すると彼女に、A代表すなわち、なでしこジャパンから声がかかる。

 

 指揮を執るのは、現在もなでしこジャパンを率いる高倉麻子監督だ。指揮官は3月に代表メンバー発表した際、初招集の大矢についてこう語った。

「女子にはなかなかいないタイプ。身体も強く、外国人選手に当たり負けすることなく個で突破できる珍しい存在です」

 

 代表デビュー戦こそ攻撃的な位置での起用だったが、その後、大矢が配置されたポジションはサイドバックだった。「探り探り。試合で学ぶこともたくさんありました」と大矢。6月、ヨーロッパ遠征のオランダでは、右サイドバックでスタメン起用された。そこは彼女にとって未知のポジションだった。

「少し不安もありましたが、どこのポジションでも責任を持って務めないといけません。その中でも自分の良さを出していければと思っていました」

 攻撃的なサイドバックとしてアピールした一方で、慣れない守備でも労を惜しまなかった。終了間際にあわや失点という場面で身を挺してピンチを防いだ。

 

 サイドバックは「難しい部分の方が多い」と苦労も少なくなかったが、大矢はひた向きに挑んだ。「負けずに食らいついていきたいです」。コンバートは苦労ばかり積んだわけではない。「DF側の視点で、相手FWにされたら嫌な動きを知ることができました」と、本来とは違う視点で見ることで、プレーの幅が広がったことも実感した。

 

 結局、この年の代表戦に計8試合出場した。

「代表選手としての自覚が芽生えました。海外の選手とプレーできる機会もなかなかありません。普段とは違う経験ができるので、自分の足りない部分も分かり、すごくいい経験させてもらいました」

 得られる経験値は対戦相手からだけではない。代表活動を通じ、なでしこジャパンの海外組たちとコミュニケーションを取ることで、いろいろなことを学んだ。

 

 だが18年3月に行われたアルガルベカップのアイスランド戦に途中出場したのを最後に大矢は代表から呼ばれなくなった。この年のシーズンは愛媛FCレディースでも全18試合に出場したものの、2得点と結果を残せなかった。スランプと呼んでもいい、「うまくいかない1年」を過ごした彼女がそれをどう乗り越えたのか――。

 

(最終回につづく)

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大矢歩(おおや・あゆみ)プロフィール>

1994年11月8日、群馬県生まれ。小学4年でサッカーを始める。小学生時はFC笠懸84、中学・高校時には群馬FCホワイトスターと地元のジュニアチームに所属した。また小学3年時から高校2年時まで桐生スケートクラブにも在籍し、スピードスケートとの“二足の草鞋”を履いていた。高校2年の夏、ドイツのデュイスブルク行きを機にサッカーに専念。高校卒業後は愛媛の環太平洋大学短期大学部に進学した。愛媛FCレディースに加入し、1年目から出場機会を得た。その後は主力として活躍。19年、なでしこリーグ2部優勝、1部昇格に貢献した。日本女子代表(なでしこジャパン)には17年初招集され、9試合に出場した。ポジションは主にFW、MF。背番号7。身長160cm。利き足は右。

 

(文/杉浦泰介、写真/©EHIMEFC)

 


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