日本勢の不振が続いた昨年の世界柔道選手権(2007年9月13〜16日、ブラジル・リオデジャネイロ)、男子無差別級の棟田康幸(警視庁)が5試合オール一本勝ちという充実の内容で優勝を果たした。日本男子に唯一の金メダルをもたらすとともに、北京五輪代表権争いでも大きくアピールした棟田に、二宮清純がインタビュー。2007年を振り返って、北京五輪イヤーとなる2008年の抱負、さらには柔道への思いを熱く語った。


二宮: あらためて世界選手権での金メダル、おめでとうございます。2007年を振り返って、棟田選手ご自身にとってはどんな年でしたか?
棟田: 世界選手権で優勝して、いろいろな方から「良かったね」と言われますが、細かく振り返ってみると自分にとってはあまり良い年ではなかったですね。

二宮: その理由は?
棟田: 年明けてすぐに大きな怪我をしてしまって、完治しないままに臨んだ3月の試合で、怪我をぶり返してしまうアクシデントがあったんです。その結果、(世界選手権選考会を兼ねた)4月あたまの全日本体重別選手権に出場することができず、4月末の全日本選手権1本に賭けることになった。そこで力を出そうと思ったのですが、不本意な結果に終わってしまった。それでも、過去の実績で世界選手権の代表に選ばれて……。日本で1番になっていないのに世界選手権に出たことは今まで何度もあるのですが、またそれを繰り返してしまった。それはやはり、自分にとっても納得のいかない出場の仕方なので、今年の五輪には、国内の選考会でしっかり結果を出して代表入りをしたいですね。そうでなければ、自分にとって良い年になるとも思えないし、日本の代表になれるとも思っていません。今は、北京五輪のことまでは考えずに、4月の最終選考にのみ照準を合わせています。

二宮: そうは言っても、世界選手権で金メダルを獲ったのは棟田選手だけですからね。日本勢は初日から不振が続いて、金メダルがゼロに終わるんじゃないか、との懸念もありました。柔道母国代表の一人として、そういうプレッシャーはなかった?
棟田: 僕の場合はあまり期待されていなかったので、そんなにプレッシャーをかけられることもなかったですね。

二宮: 「負けてしまった選手たちの分まで、オレがリベンジしてやろう」という思いは?
棟田: そういうことを考えてしまうと逆に肩に力が入ってしまうので、自分の柔道をすることだけを考えていました。コ―チ陣からも「オマエは自分の柔道をやれば、金メダルが獲れるくらいのきつい練習をやってきたんだから、自信を持って自分の柔道をやってこい」と言われて、試合場に送り出されました。

二宮: 「オール一本勝ち」は本当に素晴らしい。大会の結果は満足しているのでは?
棟田: 結果だけを見たら、「オール一本勝ち」ですけど、1つ1つの試合を見ると、満足はできないですね。途中の組み手が、自分のイメージする柔道より少し遅かったり、特に決勝では相手が積極的に技をかけてきたので、僕の方に指導がきてポイントで逃げられそうな場面もありました。やはり「自分の柔道をやり抜く」という面においては、試合の内容はあまりよくなかったです。

二宮: 決勝を振り返りたいと思います。対戦相手のルイバクは、序盤からけっこう攻めてきましたよね。残り1分くらいまではリードをされていて、相手がすみ返しにきたところを切り返して押さえこんだ。これは相手の攻撃を読んでいたのですか?
棟田: ルイバク選手は、もともとすみ返しが得意な選手なんです。左右のすみ返しでいろいろな強豪選手を投げてきているので、絶対的な自信があったと思います。それをしのいで、自分がどういう柔道をするかというところに、勝負のポイントがありました。しっかりと投げてポイントを取って、最後に押さえ込みにいく、ということができていれば、自分でも合格点が出せたと思いますが、相手の技をしのいでしのいで寝技に行く……という戦い方だった。やはり柔道が後手に回っていたかな、と感じますね。

二宮: なるほど、要するに棟田選手の理想は、徹底して攻めて、攻めきる、と。そして一本を獲るのが理想の柔道だと?
棟田: そうですね。最後の1秒まであきらめないで一本を取りに行くのが本当の柔道だと思います。ポイントで勝つ柔道をしていたら、今、自分の柔道は違うものになっていたでしょうね。

二宮: 残り1分を切ってリードを奪われていたときは、焦りはなかったですか?
棟田: 焦りはなかったですね。とりあえず最後まで、寝技でもいから一本を取りに行くことだけを考えていた。結果、相手の運すみ返しを裁いて、そこから寝技に入ることができました。

二宮: やはり目指すレベルが高いんですね。金メダルを獲ったら普通の選手なら万々歳ですよ。そこを、中身が納得できない、と。理想が高いからこそもっと稽古をしなければならないし、日々精進しなければならないんですね。
棟田: やはり今回の結果で、自分で「OK」を出したら、それ以上の成長はないと思いますし、自分が理想とする柔道は、現役を引退するまでに完成するかわからないほどに奥が深い。自分のレベルが上がれば上がるほど、それは感じますね。今までの先輩方の柔道を見てきて、そのすべてを取り入れていきたい、と思っています。

(続く)

※この記事は「二宮清純の我らスポーツ仲間」(テレビ愛媛・2008年1月3日放映)での対談を元に構成したものです。

棟田康幸(むねた・やすゆき)
1981年2月10日、愛媛県松山市出身。警視庁所属。小学校卒業後、柔道の名門「講道学舎」へ入門、弦巻中学校−世田谷学園高校−明治大学。03年の世界選手権100キロ超級でタメルラン・トメノフ(ロシア)ら強豪を破り金メダルを獲得、22歳で世界の頂点に立った。04年アテネ五輪代表は逃すが、05年世界選手権100キロ超級銀メダル、07年世界選手権無差別級金メダルと世界トップの実力を誇る。170センチ。4段。





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