今月も鈴木康友コラムをご覧いただきありがとうございます。3月末、コロナ下でプロ野球が開幕し、現在、熱戦が続いています。田中将大(東北楽天)の凱旋登板が話題になる中、私事ですが奈良県の聖火ランナーを務めてまいりました。今回はいつもの球論の前に、まずは聖火リレーの御報告から。

 

 先手先手で援護する

 私が走ったのは故郷である奈良県五條市。4月11日の朝、一番手を務めました。大阪などで再び感染拡大という状況でしたので、移動経路にも気を配り、移動後はホテルに籠もりきり。久しぶりの故郷ですから会いたい方も多くいましたが、そこは我慢し、翌朝、無事に"完走"いたしました。

 

 トーチは思ったよりも重くはありませんでしたが、手を高く掲げていないと、聖火が頭や顔のところにきますから、その点だけ気を使いました。沿道には旧知の顔もあり、無事に大役を果たせてホッとしております。

 

 それにしても、4年前の夏に骨髄異形成症候群と診断され、その後、臍帯血移植により私は命をつないでもらいました。そうした思いもあって「聖火をつなぐ」という言葉がより重く感じられました。病気をしていなければ聖火リレーを走ろうと考えなかったでしょうし、同じ病気と戦ってる人が私の走る姿をテレビなどで見て、少しでも闘病の励みになっていればいいですね。本当に病気と戦っていたときのことを考えると、夢のような瞬間でした。感染拡大防止に配慮しながら、安全に聖火リレーを開催していただいた関係者の皆さんに改めて感謝いたします。

 

 さて、野球の話に戻りましょう。田中将大が17日の北海道日本ハム戦で凱旋登板を果たしました。結果は5回を投げて3失点でしたが、相変わらずコントロールがよく、5回75球という球数の少なさはさすがだな、と感じました。2ストライクまでポンポンと追い込むのは以前と変わりません。

 

 中田翔に打たれたホームランは逆球になったストレートでした。オープン戦で変化球を打たれたこともありストレート勝負でしたが、あのコースでは持っていかれて当然です。インコースのまっすぐは「こりゃ打てない」という感じでしたが、気になったのは前なら空振りを取れていたフォーシームの真っすぐが、ファウルになっていたことです。

 

 カットボール、ツーシームを多投したことでスピン量が以前よりも減っているのかもしれません。これはトラックマンなどの数値を見てみないとわかりませんが、そういった印象を受けました。まあ8年も経てば、日本のバッターも進化しています。打者はマシンがあるし、マシンを前に持ってきてスピード慣れもできる。開幕前に足を負傷した影響もあったのでしょう。この後、シーズンを通してどんなピッチングを見せてくれるのか。楽しみに見守りたいですね。

 

 彼のような大黒柱は投げればだいたい2点くらいに相手を抑えます。味方野手としては「今日は大エースが投げるから大丈夫だろう」と思うのですが、不思議とそういうときにヒットが出ない。いわゆる無援護というヤツです。オリックスの山本由伸なんかもそうですが、不思議と援護がなく勝ちがつかないエース級のピッチャーはいるものです。

 

 野手は大船に乗ったつもりでいてもいいのですが、ベンチはエースが投げるときこそ、序盤から積極的に動くのが鉄則です。先取点を取るために、序盤から送りバントするなど手堅い戦法で先手、先手と攻めていくことが重要ですね。楽天ベンチも田中が投げるときには、積極的に動いてほしいものです。

 

 エース対決といえば2012年5月30日、東京ドームで行われた楽天対巨人の交流戦を思い出します。この試合、楽天は田中、巨人は杉内俊哉が先発でした。初回、楽天は杉内にノーヒットに抑えられ、その裏。いきなり田中はスリーベースを打たれ無死三塁。ここで守備コーチの私は、星野仙一監督に「どうしますか。1点はOKのシフトにしますか」と聞くと、星野さんは「いや、(守備位置は)前だ。1点もやらんぞ」と。普通、初回のこういうピンチは「1点OK。アウトをひとつ確実に取る」のが普通です。それが「1点もやらんぞ」で前進守備ですからね。星野さんは杉内の初回のピッチングを見て、「今日は1点勝負」と見切ったのでしょう。

 

 田中も「初回から前進守備か」と、星野さんの真意を察し、1点もやらずに初回のピンチを切り抜けました。結果的に杉内にノーヒットノーラン、しかも9回2死までパーフェクト、をやられて敗戦しました。でも、初回の前進守備は指揮官の「絶対に田中では負けんぞ」という気持ちの表れでしたね。このようにエースが投げるときにはベンチも覚悟を決めて戦う必要があります。

 

 さて今季は新人選手の活躍が目立っています。横浜DeNAの牧秀悟、阪神の佐藤輝明と中野拓夢。中野は堅実なバッティングとあと守備が良さそうですし、ちょっと気になる存在です。彼ら新人選手のことはこの後、もっと観察してから話してみたいと思います。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、2020年東京五輪の聖火ランナー(奈良県)を務め、無事"完走"を果たした。


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