お風呂の洗剤は、単品ではそれほどの毒性はなくとも、混ぜると人を死に追いやるほどの猛毒に変質することがある。

 

 最初に洗剤をまいたのはバッハさん。緊急事態宣言が発せられたと聞いて「五輪には関係ない」とのたまった。もしかすると「五輪への影響はないだろう」との願望だったのかもしれないが、この発言で、日本人の怒りの熱量は一気にあがった。

 

 お次は菅さん。五輪開催の是非を問われると「IOCが」を繰り返した。

 

 菅さんの立場からすると、こう答えるしかないのはわかる。いまやIOCと日本は、開催を切望しつつも、最悪の場合はどちらがババを引くかというチキンレースの真っ只中でもある。

 

「すごく開催したいけれど、どうしてもっていうのなら。そのかわり、すべての責任はそっちがとってね」

 

 となれば、自分たちが矢面に立つようなことは、できる限り口にしたくない。

 

 だが、日本のリスクを少しでも減らしたいがための発言は、国民の立場からすれば、日本国民の意志はIOCの下位に組み込まれる、とも聞こえる。これでまた、怒りの沸点がグッと接近。

 

 すると、絶妙のタイミングで「組織委員会が五輪のために看護師500人の派遣を依頼」という“洗剤”がブワッとまかれた。

 

 沸点突破。

 

 本来、大会を運営する側がまさかの事態に備えて医療関係者を手配しておくのは、やって当然の準備である。というか、やらずに開催を迎えようと考える方がどうかしている。日本看護協会に依頼した組織委員会の動き自体は、まったく非難されるべきものではない。

 

 だが、十分すぎるぐらい五輪を司る人たちへの不信が募っていた状況で、逼迫した現場から人材を強奪しようとしたと取られかねない動きは、多くの人たちから激烈な反応を引き起こした。温和な日本人を激怒させる、“混ぜるな

 

 危険”の新たな化学式の誕生である。

 

 まあ考えてみれば、不適切な発言で辞任した前会長の後釜に“娘”を自認する方が選ばれた段階で、日本人のための五輪だったはずの大会は、自民党のための五輪にしか見えなくなってしまった。民間、あるいは野党からも候補者を募っていれば……と思わないこともないが、すべては後の祭り。

 

 わたしはスポーツライターで、東京五輪の開催を熱望している人間でもある。ただ、五輪を開催することで多くの人が命を落とすようなことは、絶対にあってはならないと思っている。

 

 五輪が中止になるようなことがあれば、日本は大変な損失を被るという話はよく聞く。ただ、この損失が、すでに払ったものについてなのか、新たに生じるものなのかによって、開催の是非に関する国民の考えはずいぶんと違ってくるのではないか。「損」という概念だけでなく、それがどこで、どれぐらい生じるかも精査する必要がある。

 

 この2月、春季キャンプを行うあるプロ野球球団は、開催県に迷惑をかけまいと、臨時のPCR検査場を作った。アンチとしては極めて心外ながら、いわざるをえない。

 

 いま五輪を司る人たちに求められるのは、開催に拘泥して新たな洗剤をまくことではない。読売巨人軍が沖縄で見せた、自分たちを迎え入れてくれる人たちに寄り添う姿勢である。

 

<この原稿は21年4月29日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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