国外資金依存の図式が招いたSL設立騒動
長年、というよりはこの競技が誕生して以来ずっと、ダービー・マッチはサッカーの華であり続けてきた。優勝争いやビッグクラブ同士の対決に負けないぐらいの重みを持つこともある、その国のサッカーにとって特別なイベントだった。
歴史をひもといてみればその理由はすぐわかる。英国ヨークシャー地方に世界最古のクラブ、シェフィールドFCが誕生したのが1857年で、リーグ戦が始まったのはその31年後だった。まだビッグクラブも優勝争いもなかった時代、フットボーラーとファンが情熱を注いだのは、ご近所のライバルとの対抗戦――つまりはダービー・マッチだった。
リーグ戦が始まってからも、ダービーの重さは変わらなかった。リーグは所詮新しい組織。勝つことはもちろん大切だが、積年のライバルを倒す喜びは依然として大きかった。
16世紀から続く親王家と反王家の確執をぶつけあう“タイン・ウェア・ダービー”。カトリック対プロテスタントの代理宗教戦争とも言われる“オールドファーム・ダービー”。歴史観や宗教、さらには階級闘争など、さまざまな要素がダービーには含まれている。異常なほどに熱を帯びる観客の存在も、これらの試合を特別なものとしていた。
だが、21世紀に入ったあたりから、ダービーの存在感が軽くなり始めた。
ほんの30年ほど前まで、どれほどの外国人がプレーしようが、その国のリーグを見るのはその国のファンだけだった。
二十数年前、ロンドンのあるクラブの試合に出かけ、取材申請をしてあるにもかかわらずパスを出してもらえなかったことがある。必死に抗議したところ、広報の女性に言われた。
「これはわたしたちの試合であって、あなたたちの試合じゃないの」
いまではありえない。というか、その発言、その態度だけで広報のクビが飛ぶ。差別だから? 違う。彼らのチームは、東洋人のお金なくしてやっていけないチームになっているのだ――よくも悪くも。
サンダーランドやニューカッスルの人たちには特別な意味を持つ“タイン・ウェア・ダービー”も、歴史を知らない外国人にとっては単なるローカル・チーム同士の退屈な対戦にすぎない。実際、日本のファン、いや、英国人を除くすべての外国人にアンケートをとってみたら、ほとんどが“タイン・ウェア・ダービー”よりもマン・C対リバプールの観戦を希望するのではないか。
問題は、プレミアリーグの隆盛が、“タイン・ウェア”よりもビッグマッチに惹かれる人たちが出すお金に大きく依存している、ということである。
プレミアだけではない。バルサ対レアルのクラシコが異様なほど早い時間にキックオフされるようになったのは、中国のゴールデンタイムに合わせるためと言われる。だとすれば、欧州スーパーリーグ(ESL)の話が具体性を帯びたのも、ある種の必然だった。
地元ファンからの予想以上の反発もあって、ESL設立の動きはひとまず頓挫したように見える。だが、選手の年俸が暴騰し、それを補うために国外からの資金に頼る図式がある限り、無観客での試合が続き、試合の質のみが問われる状況が長引いていけば、同じことはまた起きる。
今年阪神が優勝するより、はるかに高い確率で起きる。
<この原稿は21年5月6日付「スポーツニッポン」に掲載されています>