決勝の朝を迎えた。エース・久保尚志はここまで3連投を含む4試合に登板。疲労は蓄積し、体はズシリと重かった。だが、彼の心は喜びに満ち溢れていた。その理由は前日まで激痛が走っていた右肩の回復にあった――。

「どうすれば明日までに痛みが和らぐのか……」。決勝前日の夜、久保は一人、肩の痛みと戦っていた。そんな彼の元へ、一人の救世主が現れた。地元の香川でいつも診てもらっていた整体師の先生だ。

「僕を心配してわざわざ香川から車を飛ばして来てくれたんですよ。早速、先生に診てもらったのですが、腕を上から引っ張ってもらったら、パキッと鳴ったんです。そしたら、その瞬間からスッと痛みが消えたんです。なぜ、痛みがひいたのか、今でも不思議なんですが……。とにかく、決勝で投げることができたのは、先生のおかげです。今でも本当に感謝しています」

 翌日、肩の不安から解消された久保は、意気揚々と決勝のマウンドに上がった。相手は1974年の夏に強打の“黒潮打線”で全国制覇を成し遂げたこともある甲子園常連校の銚子商業(千葉)。“新鋭vs.古豪”の対決に、「古豪・銚子商が有利」というのが大方の予想だった。しかし、試合は誰もが予想だにしない展開を見せた。

 初回、観音寺中央は準決勝まで防御率0.94を誇る銚子商のエース・嶋田貴之の立ち上がりを攻めた。先頭打者のキャプテン・土井裕介が右中間への3塁打を放ち、口火を切ると、1死後、久保がライトへ先制のタイムリーを放った。その後、1死満塁から内野ゴロで2点目を奪う。鮮やかな速攻で、観音寺中央は早々と試合の主導権を握った。橋野純監督はこの時、既に「もしかしたら、勝てるかもしれない」と思っていた。

 紫紺の優勝旗と金メダル

 久保は自ら先取点を叩き出したこともあり、気分よくマウンドに上がった。
「初めての4連投で疲れはありました。3回くらいまでは体が重かったですね。でも、初回に得点できたことが大きかった。投げているうちに、どんどんアドレナリンが出てきて、5回くらいからは逆に体が軽く感じられました」

 銚子商は1回戦のPL学園(大阪)戦では14安打10得点、準決勝の今治西(愛媛)戦でも13安打6得点と打線が好調だった。しかし、久保はその打線に1本も長打を許さないばかりか、5回以降は2塁さえ踏ませなかった。さらに無四球と快投を演じる久保に、3万人の観衆は釘付けとなった。

 観音寺中央は6回にもダメ押しの2点を追加し、4−0とリードを広げた。そして試合はそのまま最終回を迎えた。2死1塁、優勝まで後ひとりとなった。打席にはそれまでの3打席で2本のヒットを放ち、久保に最もタイミングが合っていた6番・山本啓樹が入った。

「カキーン!」
 乾いた金属音が甲子園にこだまし、打球は高々と上がった。3万人の大観衆が見守る中、白球はセンターの田中靖教が構えるグラブに吸い込まれていった。その瞬間を見届けるや否や、久保は甲子園の中央で両手を突き上げた。その顔からは満面の笑みがこぼれていた。
 久保の元に真っ先に駆けつけ、飛びかかってきたのはキャッチャーの森孝之だった。そして後から次々と選手たちが集まり、マウンドには歓喜の輪が広がった。

「どうせなら金メダルを持って帰ろうぜ」――前日の準決勝、甲子園に向かう電車の中で誰かがそうつぶやいた。車内に吊り下げられた広告には優勝校と準優勝校に与えられる金と銀のメダルが載っていた。久保はその言葉を本気にはしていなかった。「そうなればいいな」。そのくらいにしか思っていなかったのである。まさか、その言葉が現実のものになるとは……。

 初出場で初優勝。紫紺の優勝旗が初めて鳥坂を越えて西讃(香川県西部)の三豊地区に渡った。歴史的快挙を成し遂げた観音寺中央。1週間前までは全くの無名だった同校の名が、全国に知れ渡ることとなった。

「優勝が決まった瞬間は……とにかく、嬉しいの一言に尽きますね。でも、全国の頂点に立った実感はほとんどありませんでした」。その日一日、久保はなんだか夢を見ているような、そんな不思議な気分を味わっていた。

 だが、優勝していいことばかりではなかった。春の選抜の優勝校が必ず背負わなければならないもの――。それは “春夏連覇”への周囲からの期待である。観音寺中央もまた、この優勝したが故のプレッシャーを背負わなければならなかった。

(第4回へつづく)


<久保尚志(くぼ・たかし)プロフィール>
1977年5月27日、香川県観音寺市出身。小学4年からソフトボールを始め、小学6年時には全国大会に出場した。観音寺中央高校では2年秋からエースとなる。春夏通じて初の甲子園出場となった3年春の選抜大会で全国優勝を果たす。夏も甲子園に出場するも、2回戦で敗退した。中央大学を経て、鷺宮製作所に就職。1年目からレギュラーを獲得し、活躍する。05年の日本選手権では主将としてチームを牽引し、ベスト4に。今夏の都市対抗野球大会では32年ぶりに初戦を突破。ベスト4まで勝ち進み、自身も大会優秀選手に選ばれた。






(斎藤寿子)
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