愛媛県宇和島市出身のプロダンサーKTRこと後藤慶太郎。彼は海と山、自然に囲まれたまちで生まれ育った。父・浩隆が「自然の中で遊び、運動神経を養っていったんじゃないでしょうか」と口にするように、少年時代から身体を動かすことが大好きだった。

 

 父・浩隆によれば、性格は「優しい子」という。「言葉掛けがきれいで気が利く。手のかからない子でしたね」。両親は伸び伸びとKTRを育てた。身体を動かすことが好きだったKTRは小学校時代、ソフトボール、陸上、水泳と様々なスポーツを楽しんだ。3歳上の兄がソフトボール、野球という道を辿ったため、弟のKTRもそれに続いた。

 

 中学、高校は野球部だった。3学年離れているため、同時期に通うことはなかったが、兄と同じ学校、部活に入った。津島高校では最終的な新入部員が自分しかおらず、下級生としての役割は全部回ってきた。それでも野球部を最後まで辞めなかった。「それ以外の選択肢は思い浮かばなかった」と続けてきた野球。高校3年の夏、大会で敗れ、ユニホームを脱ぐこととなった。

 

 そんな時、野球部を引退したKTRに「文化祭で一緒にダンスをやらない?」と声を掛けた友人がいた。

「中学時代から踊っている友達はいました。友達がバク転やスピンをする姿を見て“カッコイイな”とは思っていましたが、自分は野球をやっていたので縁遠いものだと思っていました」

 

 何か熱中するものを探していたKTRは「何もやらないという選択肢はなかった」という。友人の影響でキックボクシングが頭に浮かんだものの、最終的にはダンスを選んだのだった。

 

 練習のため、地元に唯一あったダンススクールのPUMP UP DANCE SCHOOLに通い始めた。最初からうまく踊れたわけではない。だが、すぐにダンスの虜になった。「決してカッコ良くはなかったと思います。うまくもなかった。ただただ楽しかった」。文化祭での彼の姿を見た別の友人から褒められたことも背中を押したのかもしれない。“もっとうまくなりたい”という欲がKTRの中で膨れ上がるのは当然の成り行きだった。

 

 文化祭で披露したダンスはR&Bだったが、KTRがPUMP UP DANCE SCHOOLで習っていたのは、今も彼がメインに踊るKRUMPだった。講師の西蔭徹氏はK@TO(ケイト)というダンスネームを持ち、ダンスの発展を願い、同スクールを設立した人だ。ちょうどその頃、愛媛でKRUMPを教え始めていた。KTRは「ダンスだけでなく人生も教わった」という恩師に出会い、イロハを教わったのだった。

 

 大阪へ飛び出す決意

 

 K@TOはKTRを高く買っていた。そのことはPUMP UP FAMのリーダー として“BIG PUMP UP”の名でも活動していたK@TOが、KTRを“Twin PUMP UP”と名付けたことからもわかる。KRUMPにおけるFAM(ファム)とは、FAMILY(家族)のような位置付けだ。リーダーおよび “BIG”の下に集まった家族。そのKRUMPネームは“BIG”との関係や立ち位置、踊りのレベルなどによって決められる。KTRがもらった“Twin”という称号は片腕を意味し、これを名乗れること自体、“BIG”からの厚い信頼を得た証である。

 

 高校卒業直後の4月、松山市で行われた千舟ダンスカーニバルに高校時代の友人と出場し、優勝したものの、KTRはいきなりプロの道に進んだわけではない。地元・愛媛を離れ、三重県の会社で働いた。ダンスは続けていたが、それを生業にするとは思ってもいなかった。近くにスタジオを見つけ、練習を積んだ。ダンススキルを磨くために週1回、大阪遠征もしていた。

 

 就職して半年が経った頃、沸々と込み上げてくる想いがあった。

“もっとうまくなりたい”。シンプルな欲求だった。日々の仕事でダンスに時間を割けないことにストレスも感じていた。決断は早かった。職場の上司に退職の意思を伝えると、背中を押してくれた。

「半年しか働いていないのに、送別会を開いてくれました。『頑張れよ』と言っていただき、プレゼントまでもらったんです。本当に感謝しかありません」

 

 上司とは半年限りの付き合いではあったが、KTRはその人の名前を今でも覚えている。プロとして活躍する彼をどこかで自慢しているかもしれない。そう訊ねると、KTRはこう答えた。

「それも目標ですね。自分は周りの人に自慢してもらえる存在になりたい。まだまだ道の途中ではありますが」

 

 三重を飛び出す決意をしたKTRは西に進路をとる。

「大阪にはすごいKRUMPERの方たちがいたので、“とりあえず大阪に行こう”と決めました」

 更なるレベルアップを目指した先は、KTRによれば「一言で表すなら悔しさを味わった場所」だった――。

 

(第3回につづく)

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KTR(ケーティーアール)プロフィール>

1990年11月18日、愛媛県宇和島市生まれ。本名は後藤慶太郎。高校3年時からダンスを始める。2013年には日本最高峰のダンスバトルイベント「DANCE@LIVE JAPAN FINAL HIPHOP SIDE」で準優勝。15年、ドイツで行われたKRUMP世界大会「GERMANY 1 on 1 KRUMP BATTLE. CALL OF BATTLE」で準優勝した。同年にはパリでの「KRUMP BATTLE PARIS ILLEST」でベスト24に入るなど、繊細でクリアな動きとキレのあるパフォーマンスを武器に、様々なコンテストやバトルで好成績を残してきた。日本KRUMP界を代表するダンサーで、国内に留まらず海外からの評価も高い。現在は日本発のプロダンスリーグ「D.LEAGUE」のFULLCAST RAISERZに所属し、サブリーダーを務める。韓国の人気グループ「東方神起」のLIVE振付を任されるなど、アーティストの振付も行う。モデルとしても活躍するなどマルチに活動している。身長179cm。

 

(文/杉浦泰介、写真/©D.LEAGUE 20-21)

 


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