「一度、こうと決めたら動かずにはいられない性格」と語るKTRこと後藤慶太郎。これまで挑戦を恐れず、踏み出してきた。現在は日本発のプロダンスリーグ「D.LEAGUE」で活躍するなど、プロダンサーとして活躍しているが、その道は決して順風満帆だったわけではない。

 

 高校卒業後に就職した三重県の会社を辞め、大阪府に拠点を移した。飲食店でアルバイトをしながら生活費を工面し、日々、ダンスに明け暮れた。だが大阪は「悔しさを味わった場所」だった。

「レベルがすごく高いところに田舎の少年が来たという感じ。違いを見せつけられましたね」

 

 大会での目立った実績もなければ、ダンス経験も浅い。ダンス上達のために、自ら望んだこととはいえ、心は折れなかったのか。「後ろ向きになることはなかった。“何でこんなに違うんだ!”と怒りを覚えるぐらいの悔しさでした」。その時はまだ“怒り”をモチベーションに変えるしかなかった。

 

 大阪に移り住んでからは、三重から大阪に通っていた時に出会った田中重行ことSHIGE(Bucc Child FAM)のレッスンを受けた。KTRが「SHIGEさんはめちゃくちゃカッコイイ」と口にするように、日本のKRUMP界で名の知れた存在だった。KTR自身をKRUMP習い始めた時から映像などで目にしていた。しかし、そのSHIGEからは「なかなか褒められることはなかった」という。

「ある時期に結構言われることがあり、めちゃくちゃ悔しい思いをしました。そこで火がついた。大阪は特に練習をガムシャラにやっていた感じはありますね」

 

 寝る間も惜しんで練習をした。ストリートで踊ったり、セッションしたりすることはあったが、大きな舞台で踊ることはなかった。「ダンスで稼げることなんて何もなかった」とKTR。それでも腐らず、踊りを磨いていった。すると、徐々に結果が表れるようになった。2010年秋、KING OF BUCK BATLLE TOURNAMENT(KOB)で準優勝した。

 

 第一人者が認めるスター性

 

 KOBの準優勝でダンサーとしての評価を上げたKTR。その実力は佐藤順一郎ことJUN(写真)の目にも留まった。KRUMPを日本に持ち込み、その礎を築いたパイオニアである。KRUMP創始者のTight Eyez(タイト・アイズ)にも認められる存在。日本最高峰のKRUMPアーティスト集団Twiggz Famを率い、何名ものトップアーティストやパフォーマーを育成・輩出してきた。現在はKTRが所属するD.LEAGUEのFULLCAST RAISERZのディレクター兼ダンサーだ。

 

 2人が初めて出会ったのは、KTRが高校を卒業し、三重に住んでいた頃だ。その時は挨拶を交わした程度に過ぎず、深く関わることはなかった。「過去に会ったこともありましたが、ダンスをじっくり見ることはなかったんです。彼がKOBで準優勝した時に、光るものを感じ、そこから連絡を取るようになりました」とJUN。その「光るもの」とは何なのか。Twiggz Famでトップアーティストやパフォーマーを育ててきたJUNは「岩田剛典、小林直紀、佐野玲於らと同じ匂いを感じましたね」と振り返る。Twiggz Fam出身の岩田と小林は三代目J SOUL BROTHERSとEXILE、佐野はGENERATIONSのパフォーマーとして現在活動している。彼らの活躍の場は日本の音楽シーンにとどまらず映画やドラマにも広がっている。

 

 ダンステクニックだけでなくスター性を認められたKTRは、JUNに呼ばれ、東京のダンスイベントにも参加した。交流を深めていくうちにKTRの“有名になりたい”“もっとダンスが上手くなりたい”という野心を知ったJUNは、彼にある提案をした。

 

「東京に来ないか?」

 

 魅力的な誘いだった。大阪から離れたかったわけではない。「大阪より人口が多く、KRUMPERの人口も多かった。そこでもまれた方がレベルアップできると思ったんです」とKTR。それは三重から大阪へと旅立つ決意に近いものがあった。新たなまちで暮らす不安はなかったのか。「東京でもバイトをすればなんとかなると思っていました。“お金を稼ぎたい”という気持ちはなく、ダンスがうまくなりたかった。それ以外はほとんど考えていませんでした」。KTRは挑戦を恐れなかった。そして何より、「一度決めたら動かずにはいられない」性分だった。

 

 一方、彼を東京に誘ったJUNも「彼のダンスは光っていた。一緒にやれば、それがもっと輝くんじゃないかという自信がありました」との勝算があった。東京に呼ぶからにはKTRをTwiggz Famに招き入れるつもりだった。

 

「人に求められるようになった」

 

 そしてKTRは東京に来て、1年も経たぬうちにTwiggz Famの仲間入りを果たす。彼に与えられた名は“Twin Twiggz”だ。“Twin”という称号は片腕を意味する。「唯一、JUNさんが誰にもあげていなかった名前」とKTR。それだけにズシリと重たいものがある。

 

 JUNは「東京に来てからは家も近かったので、公私共に仲良くなりました。“自分の右腕”という気持ちで彼を育てました。だから、それがふさわしい名前だった」と理由を説明した。“Twin”の称号を得て、KTRの気持ちにも変化が生まれる。

「今までは“ダンスがうまくなりたい”だけだったのですが、名前をいただいたことで目標ができた」

 

“これまで以上に結果を残さなければいけない”と気を引き締めるのだった。KTRはTwiggz Famと共に輝きを増していく。13年には1on1形式の世界最大級ストリートダンスバトルDANCE@LIVE (ダンスアライブ)という大会に出場。その予選で「大阪の師匠」SHIGEと対戦する機会があった。勝ち上がったのはKTR。「その時にSHIGEさんに初めて褒められた。『ごっちゃん、カッコようなったな』と。その時、SHIGEさんの指導のありがたみに改めて気付かされた。自分がそれだけ頑張らせてくれた悔しさを与えてくれたから」。その悔しさが成長の糧になったことは間違いない。

 

 KTRは大阪での雌伏の時を経て、日の当たる場所へと躍り出た。13年に「DANCE@LIVE JAPAN FINAL HIPHOP SIDE」で準優勝するなど、様々なコンテストやバトルで好成績を残した。

「人前に出ることが格段に増えました。Twiggz Famとしてもコンテストで優勝するなど結果が出始めた。個人としてもダンスアライブで準優勝。いろいろな仕事をいただけるようになりました。ミュージックビデオに出演したり、モデルもやらせてもらった。ただ“ダンスがうまくなりたい”と思ってやってきたことが少しずつ仕事になりはじめ、人に求められるようになりました」

 

“Twin Twiggz”として活動した約5年間は濃密なものだった。ガラリと変わったKTRのダンサー人生は順風満帆に進んでいるかと思えた。だが、彼は変化を求めた。Twiggz Famを離れること決めたのだった。

 

(最終回につづく)

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KTR(ケーティーアール)プロフィール>

1990年11月18日、愛媛県宇和島市生まれ。本名は後藤慶太郎。高校3年時からダンスを始める。2013年には日本最高峰のダンスバトルイベント「DANCE@LIVE JAPAN FINAL HIPHOP SIDE」で準優勝。15年、ドイツで行われたKRUMP世界大会「GERMANY 1 on 1 KRUMP BATTLE. CALL OF BATTLE」で準優勝した。同年にはパリでの「KRUMP BATTLE PARIS ILLEST」でベスト24に入るなど、繊細でクリアな動きとキレのあるパフォーマンスを武器に、様々なコンテストやバトルで好成績を残してきた。日本KRUMP界を代表するダンサーで、国内に留まらず海外からの評価も高い。現在は日本発のプロダンスリーグ「D.LEAGUE」のFULLCAST RAISERZに所属し、サブリーダーを務める。韓国の人気グループ「東方神起」のLIVE振付を任されるなど、アーティストの振付も行う。モデルとしても活躍するなどマルチに活動している。身長179cm。

 

(文/杉浦泰介、写真/©D.LEAGUE 20-21)

 


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