地元県民の皆さんや球団関係者など多くの方々から多大なご支援・ご協力をいただき、石川ミリオンスターズは初代チャンピオンの座を獲得することができました。今は目標を達成できた安堵感と、感謝の気持ちでいっぱいです。応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
 私が開幕前から一貫して言ってきたことは「基本に忠実なプレーをすること」でした。開幕当初はエラーやミスが目立ちましたが、それよりもとにかく「投げる」「捕る」「打つ」の正確性を重視してきたのです。優勝はその指導法が間違いではなかったという何よりの証だと自負しています。指揮官としては、優勝したこと以上に、そのことの方が嬉しいというのが正直な気持ちです。

 リーグ戦に続いて行なわれた四国アイランドリーグの王者、香川オリーブガイナーズとのグランドチャンピオンシップでは初戦を白星で飾ることができました。これは言うまでもなく、先発した蛇澤敦(NOMOベースボールクラブ出身)の力が大きかった。投手が最小失点で抑え、打線が数少ないチャンスで確実に得点に結びつける――これまでやってきた石川の野球ができたことが最大の勝因だったと思います。

 しかしその後、3連敗し、チャンピオンシップを制することはできませんでした。基礎体力、スピード、瞬発力……どれもが、リーグ設立3年目のアイランドリーグとの差を感じざるを得ませんでした。来年はその差を少しでも埋められるように練習を積み重ねていきたいと考えています。

 今季を振り返ってみると、苦労の連続でした。選手はよく我慢して頑張ってくれたと思います。中でも私がいの一番に感じたのは、練習環境でした。練習がしたくてもチーム専用のグラウンドがないため、選手は好きな時に好きな時間だけ好きなように練習することはできません。場所、時間、お金……と“ないないづくし”の中、球団は少ない予算をやり繰りしながら練習場所の確保に奔走し、選手は与えられた短時間で徹底的に基礎を磨いたのです。

 その甲斐あってでしょうか、今年は一人も指名されないだろうと言われていたにもかかわらず、内野手の内村賢介(JFE西日本出身)が東北楽天に育成枠で指名を受けました。ドラフト当日、会議の模様をテレビで観ていたのですが、まさか内村の名前が呼ばれるとは……。「いつかはNPBに上げさせたい」という思いがありましたから、嬉しかったですね。その半面、「こんなに早く指名されてしまって大丈夫かな」という気持ちもあります。しかし、彼にとって願ってもないチャンスであることには間違いありません。多くの誘惑に負けず、一日でも早く支配下選手になれるよう、頑張ってほしいと思います。

金森栄治(かなもり・えいじ)プロフィール>: 石川ミリオンスターズ監督
石川県金沢市出身。PL学園(大阪)、早稲田大学、プリンスホテルを経て、81年ドラフトで西武に2位で指名され、翌年入団。85年には打率3割1分2厘をマークし、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。88年のシーズン途中に交換トレードで阪神に移籍。93年にはヤクルトに移籍し、代打の切り札として活躍した。96年に現役を引退後は、ヤクルト、西武、阪神、ソフトバンクの打撃コーチに。07年より石川ミリオンスターズの監督に就任し、初代チャンピオンに導いた。





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 今回は石川・金森監督のコラムです。「地元に根ざした球団へ」。ぜひ携帯サイトもあわせてお楽しみください。
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