東京五輪のサッカー、男子はA組首位、なでしこはE組3位でグループリーグを突破しました。男子は3連勝で勢いに乗っていますが、なでしこが少々心配です。まずは男子から振りかえりましょう。

 

 南アフリカ戦は初戦ということもあり、全体的に硬かったですね。先に失点するのは絶対に避けたいので仕方なかったでしょう。守備から攻撃への切り替わりなどでワンテンポ遅いシーンがいくつかありましたが、久保が絶妙なトラップから技ありゴールを奪いました。これで完全に勢いに乗れましたね。

 

 メキシコ戦も久保の先制点とMF堂安律(PSV)のPKで得点を奪えました。ど真ん中に蹴った度胸試しのようなPKでしたね。ただ、最後の失点は欲を言えばない方が……と思いましたがこれは次のフランス戦や決勝トーナメントに臨むにあたり、良い教訓となってくれればとも思いました。

 

 初戦と2戦目はFW林大地(サガン鳥栖)がセンターフォワードを務めました。彼自身にゴールはありませんが、守備での貢献が非常に大きい。パスコースを切るだけでなく隙あらばガツガツと体を当てて、ボールを奪いに行きますよね。林が奪いに行けばDFラインは上げられる。林が取りに行けないのであれば全体はリトリートして、相手の攻撃をディレイさせる。林の動きがチーム全体の動きを決定づけていました。細かい点ですが守備においてはとても大事。セットプレーから失点は喫しましたが、流れの中でまだ崩されていないのは、林の貢献もあると思います。

 

 相手を間延びさせた上田の動き出し

 

 引き分け以上なら文句なしで予選突破となったフランス戦。好調・久保の1点目でグンと勢いに乗れました。右サイドバックのDF酒井宏樹(浦和レッズ)が奪った2点目、よくあそこまで詰めていた。大きな追加点でしたね。

 

 センターフォワードにはこれまで林を起用していましたが、上田が入りました。上田は自分の長所が出せていました。彼がDFラインの裏に抜け出してシュートを放つ。そのこぼれ球を詰めて奪った1点目と2点目。裏をあれだけ取るのには動き出しがとても重要です。それにFWが裏を狙うと相手DFラインが下がる。すると日本の2列目あたりにスペースができる。上田の動きが相手の陣形を間延びさせる一要因になっていました。相手DFが裏のスペースばかり気にしだすと、今度は上田自身もポストプレーをこなしやすくなります。効果的にボールを収める場面が見受けられましたね。

 

 上田は跳躍力でもフランスの選手たちに引けを取らなかった。のちのちの話ですが海外でも十分に通用すると思います。上田の活躍を各クラブのスカウトはチェックしているのではないでしょうか。ニュージーランド戦以降も上田に注目ですね。

 

 A組首位で通過した日本は準々決勝でD組2位・ニュージーランドと対戦します。もし日本が2位通過だったら韓国と当たっていた。韓国はやりにくい相手だと思うのでグループリーグを1位で抜けたのは大きいですね。開幕前、男子はグループリーグを突破できれば……と思っていました。しかし、今の勢いを見るに決勝まで行けるのでは、と思っています。森保一監督が指揮を執るようになって、ボランチとDFの選手がより多くの汗をかいています。結果が出ている要因はここにあると見ています。ボランチが危ないパスコースを消したり、パスコースを限定させています。さすが“元ボランチの森保監督”ですね。

 

 修正点はポジショニング及びサポートの角度

 

 一方で、少し気がかりなのがなでしこでしょうか。1勝1分け1敗の勝ち点4、3位での決勝トーナメント進出を果たしました。心配なのは2トップが孤立している感じがしますね。2トップに頼り過ぎ、とでも言いましょうか。そこまで陣形が間延びさせられているわけではないのに、後ろからの押し上げがあまりない。率直に言って「前線頼み」ですね。良い時のなでしこは全体的にみんなが動きながらボール運びができるんです。

 

 2トップに縦パスが入っても良い角度でサポートに入れていません。シンプルな4-4-2を採用していますが選手たちのポジショニングもほんの数メートル、ズレているように映ります。例えば、「あと1メートル、2メートル、右にズレればパスをよりよい状態で引き出せるのに……」という場面の連鎖、連鎖で全体がノッキングを起こしています。サポートが悪いと縦パスを受けたFWはボールを落とせず、キープしようと踏ん張りますが結局潰される。30日、準々決勝のスウェーデン代表戦までに、距離感とサポートの角度、ポジショニングを修正してほしいです。運動量は少ないわけでは決してないので、ランニングの質を高めるべきです。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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