8月7日にオリンピックの野球は決勝戦を迎える。侍ジャパン(野球日本代表)は悲願の金メダルをかけ、アメリカと対戦する。17年、稲葉ジャパン誕生以前から侍ジャパンの強化本部長を務めてきた山中正竹氏の証言で、野球日本代表の強みと五輪野球の怖さに迫る--。インタビュアーはスポーツコミュニケーションズ編集長の二宮清純。(このインタビューは講談社・本2017年11月号に掲載されたものです。)

 

 

 この7月、2020年東京五輪で悲願の金メダルを目指す野球日本代表(侍ジャパン)監督に、ヤクルトや北海道日本ハムで活躍した稲葉篤紀が就任した。

 

 テレビ朝日系「報道ステーション」のキャスターを務める稲葉には爽やかなイメージがあり、人気も高い。プロ通算2167安打と実績も十分だ。

 

 また稲葉は現役時代から、代表に縁が深かった。2008年北京五輪、09年、13年のWBCにも主力として出場し、09年には「世界一」に貢献している。小久保裕紀が指揮を執った17年WBCは打撃コーチとして代表チームのベスト4進出を支えた。

 

 代表監督を選出する侍ジャパン強化委員会は指揮官に求める条件として1求心力、2短期決戦対応力、3国際力、4五輪対応力の4つをあげていた。以上の条件をメンバーの中心として策定したのが、侍ジャパン強化本部長の山中正竹である。

 

 山中が法政大学時代(66~69年)に積み重ねた48勝は今も東京六大学リーグの最多勝記録である。まだ野球が公開競技だった92年バルセロナ五輪では日本代表の監督を務め、銅メダルに導いている。16年、アマチュア野球発展に尽くした功績により野球殿堂入りを果たした。稲葉は山中の法大監督時代(94年・4年時)の教え子にあたる。

 

--どういう手続きで稲葉監督が誕生したのでしょう。
山中 昨年5月にプロ・アマ合同で日本野球協議会ができました。5つの委員会の中のひとつが侍ジャパン強化委員会です。代表監督については、ここで責任を持って決め、協議会に推薦しましょう、となりました。

 

--代表監督を選考するにあたっては、元監督の意見も参考にされたそうですね。
山中 そのとおりです。WBCやオリンピックで代表チームの監督を務めた8人の方に会って、ご意見を伺いました。こちらからは12~13人の候補者の名前をあげました。

 

--どのような意見が出ましたか?
山中 それは様々でした。監督の経験があった方がいいという方もいれば、いや未経験者でもいいんじゃないか、という方もいた。代表監督に必要な条件については聞きましたが、最終的に誰がいいか、という話は敢えて聞かないようにしました。

 

--選考の4条件の中に「経験力」はありません。これを加えて5条件にしてもよかったんじゃないか、という声もあります。
山中 今年のWBCで日本代表をベスト4に導いた小久保監督には監督経験がありません。惜しくも準決勝で米国に1対2で敗れはしましたが、監督の能力を問題視する声は、ほとんどありませんでした。
 普通、大事な試合で負けると、必ず選手の側から不満の声が上がるものなんです。「オレはバントなんかしたことないのにさせられた」とか、「行くぞと言われていたのに(登板の機会を)すっぽかされた」といった具合に。だが今回は、そうした声が全くなかった。それは指導者と選手の間に信頼関係が醸成されていた証拠でしょう。

 

--つまり小久保ジャパンは成功だったと。そのチームで打撃コーチを務めた稲葉監督の評価も上がったということでしょうか?
山中 基本的には小久保ジャパンの流れを継続していくということです。経験上、野球界には大きな大会が終わるたびにスタート地点に戻ってしまうようなところがあった。またゼロに戻ってしまうわけです。中には責任者を追求するような事もありました。でも、そんなことばかりしていたのでは、球界に進歩はない。いいものは受け継いでいく。そうしたことも選考の対象にしたのは事実です。
 稲葉に関していえば、08年北京五輪にも出場しており、国際経験力は十分です。彼の学生時代を知る者として、今の彼の発言を聞いていると「本当に立派になったなァ……」という思いが強いですね。ヤクルト時代には野村克也さん、日本ハム時代はトレイ・ヒルマン、梨田昌孝、栗山英樹と、いい指導者の下で野球をやってきた。それが人間的な成長につながったのでは、と思っています。

 

--稲葉監督は中京高(現・中京大中京)から91年に法大に入学しました。入ってきた時は、どんな印象でしたか?
山中 いや、稲葉については“うわ、これはやっぱりスゴイな!”と思いましたよ。だけど、その後、期待していた程、伸びなかった。これは法政にありがちなことなんです(笑)。それで私が監督になった時、「キミはこんな選手ではないはずだよ。何をやっていたの?」と聞きました。彼が4年の時ですよね。それから、少しずつ良くなってきたのかな。六大学野球のベストナインや日米大学野球の代表メンバーにも選ばれました。

 

--本人によると大学4年時、春季リーグの明治大戦で2試合連続ホームランを打った。左ピッチャーから1本、右ピッチャーから1本。この試合を当時、ヤクルトの監督だった野村克也さんがたまたま見ていた。それがドラフト指名のきっかけになったという話ですが……。
山中 実は野村さんが指名しなかったら、近鉄が3巡目で指名する予定になっていた。ところが野村さんが「稲葉がいるじゃないか」と言ったことで、近鉄は指名直前にヤクルトにさらわれてしまったんです。ヤクルトのスカウト部門の責任者からは指名後、「すみません。事前に何の連絡も入れずに指名してしまって。野村さんが急に“行け!”となったものですから……」と謝りの電話が入りました。逆に近鉄のスカウトからは「ウチしかないと言ってたのに……」と文句を言われましたよ(苦笑)。

 

--教え子がプロの世界で2000本以上打つと思っていましたか?
山中 いや、まさかですよ。指導者に恵まれたこと、性格が素直だったこと、努力を続けたこと……。それらがいい方向に作用したんでしょうね。
 余談ですが、もうひとり“まさか、こいつが!”という選手がいます。ヤクルトで活躍した古田敦也です。2097本もヒットを打つなんて思いもしませんでした。古田はソウル五輪の日本代表で、僕はあのチームの投手コーチです。プロに入って5年目くらいかな、「プロって、なんでそんなに簡単に打てるの?」と聞いたら「山中さん、いい加減にしてください。僕は首位打者もとったし、ベストナインやゴールデングラブ賞にも選ばれた。いい加減、僕のことを褒めたらどうですか?」と怒られてしまいましたよ(笑)。

 

--話を東京五輪に戻しましょう。同じ侍ジャパンでもWBCとオリンピックは何もかもが違います。WBCはNPB主導でしたが、オリンピックとなるとJOCの管轄になる。国際競技連盟(IF)は世界野球ソフトボール連盟(WBSC) で、国内競技連盟(NF)は全日本野球協会(BFJ)です。山中さんたちには各団体との調整・交渉能力が求められます。
山中 おっしゃるとおりです。WBCは単なる野球の国際大会ですが、オリンピックは33競技の中のひとつ。人数も選手が24人、監督・コーチが4人とWBCに比べると、かなり制限があります。ルールを見てもWBCには球数制限があるが、オリンピックにはありません。同じ野球とはいっても全く異質のものと考えていいでしょう。

 

--山中さんは代表監督に加え、横浜ベイスターズの専務取締役の経験もあります。稲葉ジャパンのGM的な役割を担うのでしょうか。
山中 役割はともかく、監督と代表チームを支えなければいけない。たとえばドーピングの問題ひとつとっても、プロ野球には中身やシステムを理解していない人が多い。また代表チームの指導者や選手には研修が義務付けられています。野球は日本で一番人気がある競技だからといって特別扱いは一切ありません。そのあたりの教育や情報提供は、こちらが受け持たなければならないと思っています。

(つづく)