――今回のパラリンピックを取材したことで、改めて気付いたことはありますか?

二宮清純: 私は競泳ですね。自由形のレースを見ていると、泳ぎ方が選手それぞれ違うことに、改めて驚きました。我々の認識は自由形と言えば、クロールでしたが、違う泳ぎ方でもいいんだと教えられたような気がします。ある選手が言っていましたが「自分たちには教科書がない」と。それぞれ障がいのある箇所やその度合いも違う。選手は自分に合ったオリジナルの泳ぎを開発していくしかないんです。まさに十人十色、個性の百花繚乱でした。

 

伊藤数子: 自由形=クロールという固定観念を壊してくれた気がしますね。

二宮: “粒ぞろい”という表現が用いられますが、私は社会において“粒ぞろい”はいらないと思う。日本ではどうしても均質が好まれますが、一人ひとり違っていいんです。今回のパラリンピックで、日本の“均質主義”に変化が生まれればいいですね。

 

伊藤: ある企業の社長から伺ったのですが、新入社員の社長面接の際、履歴書を見ないそうです。人となりと接して、いろんな個性の人材に来てもらいたいから。ところが「採用の段階で個性豊かな人材が集まったとしても、上司の教育次第で1年もすれば皆、“金太郎飴”になってしまう」と。

二宮: “均質主義”の代表例ですね。社会や企業を箱だとするならば、箱の中に入れるモノはそこに生きる人や働く人。どうしても箱に合わせたモノになってしまいがちです。それによって個性が失われてしまっては、「真の共生」と言えないと思います。

 

――パラリンピックではクラス分けについても、たびたび議論されていますね。

二宮: 今回、陸上の走り幅跳びを取材しましたが、義足の女子では、両足義足の選手が金メダルを獲得しました。片足義足と両足義足でクラスは異なりますが、今回のパラリンピックではひとつの種目としてメダルを争いました。もし公平性を担保するならば、クラスごとに種目は分けた方がいいのかもしれない。しかし、果たしてそこまで分ける必要があるのか。公平性を重視することばかりに目を向け、種目を細分化し過ぎてしまうと、共生というパラリンピックの良さが失われる気がします。

 

伊藤: 私も同感です。種目を分けていけば分けていくほどキリがありません。例えば成長が終わってから受傷した人と、生まれた時からの人では違うわけですし。クラスが増え過ぎると分母が減っていくわけですから、一つひとつのメダルの価値が下がっていってしまうという見方もあります。私は細分化するよりも、もっと一緒にやれる人が増えた方がいいと思うんです。視覚障がい者柔道のクラス分けは体重別のみ。障がいの度合いで種目を分けていません。

二宮: パラリンピックやパラスポーツが共生主義と競争主義のどちらをとるか。非常に難しいところではありますが、これについてはIPCが方向性を示すべきだとは思います。

 

伊藤: もちろんパラリンピックや大会にすべてを懸けていると言う選手もいますが、競技だけが人生のすべてではないと思うんです。競技を辞めたら人生が終わるわけではありません。パラリンピックに懸けた時間やエネルギーが大事だと思えば思うほど、いろいろな人が混ざっていることが大事だと考えます。

 

 ボッチャの可能性

 

――2013年に東京での開催が決まり、1年の延期を経てパラリンピックは今月5日に閉幕しました。これまで「二宮清純の視点」に登場したゲストの方々も「東京オリンピック・パラリンピック以降が大事」とおっしゃっていました。

二宮: ここから先が大事なのは間違いないですね。ハード面で言えば、建築物にどれだけバリアがなくなっているか。ソフト面で言えば、どれだけ偏見がなくなっていくか。それが可視化できるようになれば、大会は成功だったと言えるんじゃないでしょうか。4年に1回のお祭りが終わり、日常に戻ったら何も変わっていない、では意味がない。パラリンピックを通して感じた“気付き”が、社会をひとつでもふたつでも変えてくれればいいと思います。

 

伊藤: 二宮さんがおっしゃるように、いろいろなところに波及していくことができれば、それがパラリンピックの成果、レガシーと言えますね。

二宮: 今後について言えば、ボッチャは高齢化が進んでいる日本において一番高齢者に合うスポーツだと感じました。頭も手先も使いますし、筋力や身体能力が求められるものではありません。複数の人間が参加できますし、日本でもっと普及させられる可能性を感じましたね。

 

伊藤: 少しのスペースがあれば、いろいろな人が参加できるから良いですよね。パラリンピックでは2個のメダルを獲得し、話題にもなりました。

二宮: 年齢差や性差に関係なく誰でもできる、究極のユニバーサルスポーツと言えるでしょうね。

 

伊藤: 大会が終わり、これまでそれを担っていた国や自治体・企業・団体から、オリンピック・パラリンピック関連の組織、予算、事業は消滅します。すでに整理が始まっています。誰がどうやって意識的にそういった場を作っていくのか、が重要です。

 

――2010年にスタートした「二宮清純の視点」ですが、今後に向けての想いをお聞かせください。

伊藤: パラスポーツをどのようにしたら社会に役立つか、アスリートや指導者、様々な業界の方々へのインタビューを通してお伝えしてきたつもりです。これからも共生社会実現に向け、多彩なアプローチでメッセージを発信していきたいと思います。

 

二宮: 個人的には「教育」「使命」という言葉は使わない方がいい気がします。それは“上から目線”からくるもののように感じますから。今回のパラリンピックを見て「ウチでもパラスポーツを始めてみようかな」と考える自治体や企業が増えていけばいい。そうした小さなムーブメントを大事にしたい。まずは身の周りから変えていくことが大事かなと思います。

 

(おわり)

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