目下、プロ野球は日本シリーズの真っ最中です。また新監督人事や契約更改が始まるなど今月も球界は話題が豊富です。日本シリーズについて語る前に、福岡ソフトバンクの指揮を執ることになった藤本博史新監督についてお話しましょう。では、今月も私の球論にお付き合いください。

 

 気遣いと面倒見の男

 藤本監督は私の4歳年下で、天理高(奈良)の後輩です。天理OBがNPB球団で監督に就任するのは初めてのことです。就任発表後、早速、お祝いのメールを送ったら「康友さん、体の具合はどうですか」と逆に気遣われました。ヒゲをたくわえたちょっと強面ですが、実際は気の優しい、気配りのできる男です。

 

 藤本世代の天理は好投手の小山昌男(近鉄)、川本和宏(南海)らを擁し、天理史上最強の呼び声の高いチームでした。2年時の80年夏の甲子園準決勝では愛甲猛のいた横浜(神奈川)と雨中の決戦となり、これに敗れてベスト4止まり。たらればを言っても仕方ありませんが、ベストコンディションのグラウンドでやっていたら、と今も思いますね。

 

 藤本は卒業後、南海に進み、晩年にオリックスに移籍しましたが、鷹一筋と言っていいでしょう。打率は2割5分くらいでしたが、出塁率が良く、そして勝負強かった。大きい体でしたが状況に応じたバッティングができ、特に右打ちがうまかったですね。勝負球のアウトコースをカツーンと打つんですから、相手ピッチャーは相当に堪えたはずです。

 

 何より野球をよく知っていましたし、高校時代は強打の内野手として鳴らしましたが、プロに入ってから「プルンプルン振り回していたらプロじゃ通用しないぞ」と自分で気が付き、生き残る道を探し、努力を重ねて右打ちというスタイルを確立したんだと思います。そういう意味では苦労人ですね。

 

 引退後、解説者や居酒屋のオヤジをやった後、ホークスにコーチとして復帰しました。15年、16年は私も2軍、3軍コーチだったので一緒にやりましたよ。プロでファームのコーチをするのは初めてだったので、下での指導法は藤本から教えてもらいました。高卒選手との交換日記なんてこともやりましたよ。「字はもっと丁寧に書こう」とか、学校の先生のようでした(笑)。

 

 彼の指導法はとにかく基礎を大事にしていました。派手なことよりも基礎錬を延々と積ませるんですよ。そしてティーバッティングでも早打ちとかいろいろと工夫してましたし、何よりも面倒見が良かった。

 

 キャンプでは若手のバッティングには日が傾いてもずっと付き合っていましたね。そうした中から柳田悠岐、栗原陵矢とかが出てきた。いわば今のホークスを育てたと言ってもいいでしょう。1軍から3軍までを知っているし、世代交代が急務の今のホークスにはぴったりの指揮官だと思います。

 

 今オフは藤本以外にも、北海道日本ハムの新庄剛志監督、中日の立浪和義監督と新監督がいます。それぞれ個性的で、どういう野球を見せてくれるのか今から楽しみですね。藤本は目立たないけどコツコツとチームづくりを進め、立浪は爽やかな外観とは裏腹に厳しく熱い野球を見せてくれそうです。そして新庄は、もうあのまんま、今までにない監督像が見られそうです。

 

 新庄といえば私が西武のコーチ時代のことです。三塁コーチャーズボックスに立っていると、ベンチから新庄がさーっと守備位置のセンターへ走っていくわけです。彼が通り過ぎると何だか良い匂いがする。グラウンドにはない匂いで、「あ、香水か!」と。そういうところも普通のプレーヤーではありませんでしたね。

 

 野球選手としての能力、特に外野守備に関しては一級品でした。私は西武時代、平野謙さんの外野守備を見て「すごいもんだ」とうなったんですが、新庄はその平野さんよりもう一段、肩が強かったですね。

 

 新庄監督、グラウンドに車を入れて「低く投げろ」と指示したり、内野外野のポジションを入れ替えてのノックなど、いろいろとユニークな指導法が報道されていますが、あれは20年も30年も前からやっていることです。でも、彼がすごいのは、その伝え方。ああやってやれば話題になるし、記事になる。球団の宣伝になるわけです。

 

 でも、ただの目立ちたがり屋ではなく、スマートで頭が良いなと思うのは、「今日はCSがあるからシー(黙ってます)」と言ったりして、空気を読んでる節がある。単なるパフォーマーじゃない、奥深さを感じますね。

 

 まあ、藤本監督は話題性では新庄監督、いやビッグボスにはかなわないかもしれませんが、皆さんもぜひ、私の後輩のヒロシに注目してやってください。お願いします。

 

  さて、日本シリーズにも触れておきましょう。東京ヤクルトとオリックスの対戦、ここまで4戦を消化しましたが、非常に面白いシリーズになっていますね。

 

 近年はソフトバンクが強く、勝つ方も負ける方も圧倒的な大差という展開が多かった。それが今年は高津臣吾監督、中嶋聡監督が互いに相手をどうやって崩すか、どこに突破口と勝機を見出すかと、戦略を尽くしながら戦っている雰囲気がビシビシと伝わってきます。野村克也さん、仰木彬さん、森祇晶さんといった名監督が演じたシリーズを思い出させてくれますね。

 

 ヤクルト西浦、オリックス宗に内野守備のミスがありましたが、西浦はバスターに対し大事に両手で捕りに行った結果であり、宗の悪送球に関しても、落球のミスを消すために二塁封殺を狙い、でも思いとどまった末のスッポ抜けです。どちらも凡ミスやボーンヘッドではなく、一生懸命やった結果です。だから本人たちもベンチも早く切り替えができていますよ。

 

 いずれにしても近年屈指の名勝負になりそうです。残りの試合を存分に堪能しましょう。日本シリーズの総評は来月のこのコラムにて。では、また!

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、東京五輪2020の聖火ランナー(奈良県)を務め、無事"完走"を果たした。


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