第29回「83年を思い出したヤクルト対オリの激戦」

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 プロ野球はすべての公式行事が終了し、各チームの契約更改もほぼ完了。これから2月のキャンプインまで選手にとってはつかの間のオフとなります。思い思いに体をリセットし、そして自主トレを経てキャンプインを目指します。来季はどんな戦いが……とその前に、先月、途中になっていた日本シリーズを総括しましょう。では、今月も球論にお付き合いください。

 

 DeNA、ベテラン藤田獲得の意味

 東京ヤクルトとオリックスの対戦となり、前評判としてはそうでもありませんでしたが、近年稀に見る盛り上がったシリーズでした。接戦だったこともあるし、そして1戦ごとに見どころ、そしてドラマがありました。

 

 思い出したのは83年の巨人対西武の日本シリーズです。広岡西武と藤田巨人の対決となったこの年、西武球場で1勝1敗として舞台は後楽園へ。第3戦、西武が先制するも巨人が4回裏に2対1と逆転。しかし西武がテリーの3ランで6回に4対2と勝ち越しました。巨人は8回にクルーズのソロで1点差に迫ったものの、9回裏の攻撃は代打・淡口憲治さん、トップの松本匡史さんが凡退して2死。万事休すと思われましたが、ここからなんと4連打で2点をあげ、サヨナラ勝ちしました。

 

 第4戦は西武が7対4で勝ち、再び2勝2敗のタイ。第5戦、2対2の同点で迎えた9回裏。これも2死から中畑清さんとスミスが連続四球で出塁し、そしてクルーズがドカーン! サヨナラ3ランで巨人が王手をかけました。

 

 西武に戻って第6戦。巨人が3対2とリードし、9回裏へ。ここを抑えれば日本一ですが、抑えに起用した西本聖さんが同点に追いつかれ、さらに延長10回裏、江川卓さんが2死一、二塁から金森栄治さんにサヨナラツーベースを打たれ、4対3。西武が逆王手となりました。そして第7戦は西武が3対2で勝ち、日本一に。

 

 このときの3度のサヨナラはシリーズ最多だったそうです。私は第3戦にスタメンショートで出場したくらいでしたが、ベンチにいてもこんなにしびれる試合が連続したシリーズは記憶にありません。まあ、今年はこれに匹敵するくらい好ゲームの連続でした。

 

 高津臣吾監督、中嶋聡監督とどちらも2軍監督の経験があり、若手を育て、そして彼らもその起用によく応えました。シリーズという大舞台を経験すると自信がついて、若い選手はグッと伸びます。ヤクルト、オリックスともに来季も楽しみです。

 

 高津監督で痺れたのは守護神マクガフの使い方です。初戦でサヨナラ負けを喫した翌日の第2戦は先発・高橋奎二を完投させました。普通ならリベンジの場をすぐに与えるために、マクガフを投入するのでしょうが、さすがは自身がリリーフとして活躍した高津監督。「今日はマクガフじゃない」と見切り、若い髙橋を最後まで投げさせた。見事な采配だったと思います。

 

 中嶋監督の戦いぶりも見事でしたよ。ただ最後の最後、代打ジョーンズというジョーカーの切り方を間違えた。あそこは太田椋はそのままで、その前に代打ジョーンズでした。どうせ彼は歩かされるんですから、それで太田が打席に入る。このシリーズでは勝ち越しスリーベースを放った太田ですから、あそこでも打席に立たせれば、何かしてくれそうな予感はあったんですが……。まあ、彼の大舞台での活躍は来季以降にとっておきましょう。

 

 さて、シーズンオフは引退や移籍も話題です。東北楽天を戦力外になった藤田一也が現役にこだわり、古巣・横浜DeNAに戻ることになりました。DeNAにとってこれは良い補強になると思います。

 

 藤田は捕ってからスローイングまでが非常に速く、DeNAの内野陣にはキャンプでその技術を盗んでもらいたい。あと藤田は非常に野球頭脳があるんですよ。たとえばランナー一塁の場面で、エンドランカウントを整えることができる。楽天時代、三塁コーチの私がダミーのサインを出すと、それを藤田はわざと「え、もう一回お願いします」とやる。そうするとバッテリーは警戒して、牽制を入れたり、外してくる。それで2ボール1ストライクにしたところで、カチーンとエンドランを決めるわけです。

 

 守備でも頭を使っていました。球種、バッターの左右で守備位置を微妙に変える。大きく動くとバッターに気付かれますから、そこそスパイクの幅単位なんですが、その位置取りが絶妙でした。彼にノックを打っていたとき、そんなに本数はやらないんですよ。でも、決め事があって、ラストはボテボテのゴロをノックする。藤田はそれを足を使ってさばいてからあがる。職人芸というか名手でしたね。本当にDeNAの内野陣が藤田加入でどう変わるのか楽しみです。

 

 でも、チームとしてそうしたコーチ的な役割を期待しているんでしょうが、藤田自身はもちろんレギュラー奪取を狙っているでしょう。とにかくケガに気をつけて頑張ってもらいたいですね。

 

 教え子の藤田が加入したからじゃありませんが、来季はDeNAが良いところに行きそうだと私は思っています。

 

 三浦大輔監督の下に石井琢朗(野手総合)、鈴木尚典(打撃)、齋藤隆(投手チーフ)ら98年の日本一メンバーが集いました。いわば権藤博監督時代の教え子、権藤チルドレンです。ベイスターズ愛があるので指導も熱心になるでしょうが、彼らは何よりも頂点(日本一)を知っています。

 

 コーチに大切なものはコーチングの知識も大切ですが、頂点を知っているかどうかなんですよ。特に勝ちきれないDeNAのようなチームは、どうしても負け癖が染み付いている。そういう選手の意識改革のためには、頂点を知るコーチが必要不可欠です。その意味でDeNAは台風の目になるんじゃないでしょうか。

 

 さて、今年も1年間、私のコラムをご愛読いただきありがとうございました。22年の球界も明るい話題で盛り上がることを祈りながら、ひとまず今年の筆納めといたします。皆さん、よいお年をお迎えください。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、東京五輪2020の聖火ランナー(奈良県)を務め、無事"完走"を果たした。

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