「今までの経験を伝えなきゃいけないが、ライセンスがゼロなんで……」

 

 

 21年11月、引退記者会見の席で、こう語ったのは元日本代表のFW大久保嘉人である。

 

 プロ野球の監督になるのに、ライセンスは必要ない。それはメジャーリーグにおいても同様だ。

 

 しかし、サッカーの場合、指導者になるには資格がいる。たとえば欧州の場合、UEFA(欧州サッカー連盟)が設定するプロ・ライセンスの取得が義務付けられている。

 

 日本はどうか。国内最高峰のリーグであるJリーグの監督に就任するためにはS級ライセンスが必要だ。

 

 もっともS級ライセンスを取得するのは容易ではない。C級からスタートし、B級、A級を経ると、最短でも4年はかかる。

 

 いくら日本代表で実績のある選手でも、すぐにJリーグのクラブを率いることはできないのだ。

 

 大久保に話を戻そう。長崎の名門・国見高校でインターハイ、国体、選手権の、いわゆる高校三冠の実績を引っさげ、卒業と同時にセレッソ大阪に入団した。2001年3月にはJリーグデビューを果たしている。

 

 4年目にスペイン1部マジョルカ、9年目にドイツ1部ヴォルフスブルクと2度海外でプレーした経験を持つ。

 

 本人が言うように「元々は中盤の選手」。パス、ドリブル、シュートのどれをとっても一級品だった。

 

 欠点は血の気の多さ。J1通算104枚の警告はリーグ最多だ。

 

 最大の“黒歴史”は南アフリカW杯アジア3次予選、アウェーでのオマーン戦。熱くなり相手GKに蹴りを見舞いピッチから姿を消した。感情を抑えられなかったのだ。

 

 大久保が点取り屋として本領を発揮し始めたのは13年、ヴィッセル神戸から川崎フロンターレに移籍してからだ。風間八宏監督(当時)の指導を受け、プレーに迷いがなくなった。

 

 移籍初年度の13年から3季連続で得点王に輝き、積み重ねた191得点はJ1最多だ。

 ところで、風間は大久保を、どう見ていたのか。

 

「性格とプレースタイルはストライカー。彼をFWに置いて自由にさせた方が守る側は嫌でしょう」

 

 そして、続けた。

「彼には“動き過ぎるな”とアドバイスをしました。相手が動いてくるのを利用して、こちらが動きを止めれば逆を突けますから」

 

 指揮官の期待に大久保も応えた。

「パスの出し手の気持ちもわかるから常に得点から逆算してプレーしていた。“どう相手DFを動かすか”を考えていた」

 

 日本サッカー協会は11月、ライセンス制度を一部改定した。代表戦に20試合出場し、コーチ講習会で優秀な成績を収めた元代表選手は、S級取得までの過程に必要な「1年間の現場指導」を免除されるのだ。これにより元代表選手は1年早いS級取得が可能になった。

 

 大久保のキャップ数は60。指揮官となって一日も早く「今までの経験」を伝えてもらいたいものだ。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2022年1月2日、9日合併号に掲載されたものです>

 


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