今やお茶の間の人気者として定着したお笑いコンビ「ナイツ」。ボケ担当の塙宣之さんは“野球大好き芸人”としても知られる。当HP編集長二宮清純との異色対談は、「野球論」と「お笑い論」が交錯する必読の内容となった。

 

※対談は2021年12月下旬に実施

 

二宮清純 塙さんは、いつ頃から野球が好きになったのですか。

塙宣之: 小学生の頃です。いつもテレビで野球中継を見ていました。

 

二宮: 実際に野球はしなかったのですか。

 少しはやりましたが、いかんせん運動神経がなくて(苦笑)。でも、そのぶん野球のデータや選手名を勉強して、そのうちテレビ中継でピッチャーの投げた球種までわかるようになりました。

 

二宮: なるほど。それが今の豊富な野球知識につながっているわけですね。塙さんは熱烈な巨人ファンとして知られていますが、佐賀出身だと福岡ソフトバンク(ホークス)のファンになりそうなものですが……。

: 出身は千葉県なんです。兄(お笑いタレント・はなわ)が「SAGA さが~♪」と歌った影響だと思いますが、佐賀県に引っ越したのは小学5年生の時です。ちょうどその頃にホークスが福岡に移転してきたのですが、巨人への愛は変わりませんでした。

 

二宮: 塙さんが編集長代行(司会)を務め、相方の土屋伸之さんがナレーションを担当する『球辞苑~プロ野球が100倍楽しくなるキーワードたち~』(NHK BS1)をよく見ています。あの番組は、本当におもしろい。

: そうなんですか!? うれしいです。

 

二宮: それに進行する塙さんの“間”が絶妙です。お笑いの素人である私が言うのもなんですが、塙さんって力が抜けているというか、力みがないじゃないですか。野球に例えると、ノーモーションで投げるピッチャーみたいです。

: 自分ではあまり意識していないのですが、周りからは「テンションが低い」ってたまに言われることがありますね。

 

二宮: 塙さんの話芸を見ていると1970年代に中日ドラゴンズで活躍した松本幸行投手を思い出します。キャッチャーからボールを受け取ったら、まるでキャッチボールをするかのようにすぐ投げる。

: 振りかぶったりしないんですか。

 

二宮: ええ、「早投げ」「ちぎっては投げ」などと呼ばれていました。74年には最多勝(20勝)を取っています。剣技の「居合」のように、サッと投げて相手を打ち取る感じです。力みが全く感じられない。無造作に投げているように見えて、裏にはしたたかな計算がある。

: すごい。当然、試合時間も短くなりますよね。

 

二宮: おっしゃるとおりです。73年5月21日の大洋ホエールズ戦で記録した1時間22分(9回)という試合時間は、今では考えられません。

: 全く知りませんでした。帰ったら、松本投手について「ヤホー(Yahoo!)」で検索してみますね。

 

二宮: アハハハ。先ほど意識していないということでしたが、すると塙さんの“間”は天性のものでしょうか。

: そうですね……強いて言えば、創価学会の活動などを通して、「対話」に慣れていることが大きいかもしれません。構えたり、作ったりせず、ありのまま相手と話をする。それが自然だし、ラクなんです。だから、コントは苦手です。何か演技をしているようで、どうしてもぎこちなくなってしまう。

 

二宮: 根っからの漫才師なんですね。ちなみに、野球に例えるとボケとツッコミは、どんなポジションですか。

: 基本的にボケがバッターで、ツッコミはピッチャーかなと思います。

 

二宮: 塙さんは本来はボケ担当ですが、時々、ツッコミもやりますよね。

: 土屋は演じることはすごくうまいのですが、「語り」でつかむのがたぶん苦手なので、私が話を進めて自分でボケることが多い。その意味では、少し特殊な漫才だと思います。

 

二宮: ボケとツッコミ、今はやりの「二刀流」ですね。

; それ、カッコいいですね。でも結局、ボケはバッターと同じで打ち返すだけなので、いい球を投げてもらわないとうまく打ち返せません。

 

二宮: 塙さんは、やっぱり野球に例えるのがうまい。

: ありがとうございます。野球が好きすぎて、何でも野球に例えたがるんです(笑)。

 

(詳しいインタビューは2月1日発売の『第三文明』2022年3月号をぜひご覧ください)

 

塙宣之(はなわ・のぶゆき)プロフィール>

1978年3月27日、千葉県我孫子市出身。3人兄弟の三男で、お笑いタレントのはなわ(塙尚輝)は実兄(次男)。小学5年生の時に佐賀県に引っ越す。龍谷高校2年生の時に、吉本興業主催のオーディション番組に友人と出場して優勝。スカウトされたが、母親に反対されて断念した。高校卒業後は創価大学に進学し、落語研究会に入部。卒業後は、後輩の土屋伸之とナイツを結成してマセキ芸能社に所属し、内海桂子の弟子になる。「漫才新人大賞」(2003年)ほか数々の表彰を受けるなど活躍する傍ら、07年には史上最年少(29歳)で漫才協会の理事に就任した。08年から10年にかけて、「M-1グランプリ」決勝進出。18年からは同番組の審査員を務める。著書に『野球と漫才のしあわせな関係』(ベースボール・マガジン社)など。


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