1カ月前、いや、10日前なら言えた。迷うことなく、軽く言い切ることができた。

 

 戦争は悪だ。いかなる理由があろうとも悪だ、と。

 

 いまは、もう言えない。どんな戦争も悪だというのであれば、ロシアに抵抗するウクライナも悪なのか。彼らは黙ってロシア兵の靴の裏を舐めるべきなのか。

 

「否」と答えたい自分は、ついこの間まで無邪気に「戦争=悪」と決めつけていた人間なのだ。そして、そんなアラ還が、ロシアがウクライナ人を殺すのは悪で、ウクライナ人がロシア兵を殺すのはやむを得ないことの前提に立ちつつある。

 

 それでいて、いわゆるリベラルな方たちまでもがウクライナの抵抗に声援を送っているのを見聞きし、複雑な気分になっている自分もいる。ホントにそれでいいんですか、と聞きたくなる。

 

 ロシアに大義はないが、ウクライナにはある? それが戦前の理由? だとしたら、戦死者が増えていけば、いまは士気が低いと噂されるロシア軍にも動機が芽生えてくる可能性がある。命を落とした戦友の復讐という動機が。

 

 ウクライナへの無邪気な声援は、そこまで踏まえてのものなのか? それとも、ロシア兵であれば全滅しても一向にかまわないと割り切ってのこと?

 

 では、わたしたちは、わたしは、どうするべきなのか。

 

 もしそんな人が存在するなら話を聞いてみたいのは、アパルトヘイトに郷愁を抱く南アフリカの白人だ。

 

「五輪、W杯、ラグビーW杯から締め出されることになっても、アパルトヘイトを復活させたいですか?」

 

 特権は恋しいけれど、ラグビーW杯に出られなくなるのは辛いな。そう思う人間がいるのであれば、スポーツにもできることがある。今回、FIFAやIOCがやったこと。国際世論の波に押される形で慌てて決断したこと。アパルトヘイト時代の南アフリカが課せられていたこと――国際舞台からの締め出しである。

 

 選手やファンに直接の罪はない。だがユダヤ系のゼレンスキー大統領をネオナチ呼ばわりし自国への制裁を決定した日本を「100年も経たぬ間に2度もナチスを支持する挙に出た」と在日大使館が罵倒するまでになったロシアにブレーキをかけるのは、結局のところ、国際世論でも核の力でもない。ロシア人の力、ロシア人の声しかないとわたしは思う。

 

 現状を容認している限り、世界とスポーツで競い合う機会は永遠に失われる。それでもあなた方は自国のやり方を支持しますか、と働きかけていくしかない。ロシアの選手たちは申し訳ないが、彼らが奪われるのは選手寿命、選手生命であって、寿命そのもの、命そのものではない。

 

 このまま行けば、世界中の若者にとって「ナチ」ではなく「ロシア」が人類の愚行と最悪の戦争犯罪を象徴する単語になる。そのことに一刻も早く、できるだけ多くのロシア人に気付いてもらうしかない。

 

 では、ウクライナのためにできることはあるか。思いつくのは、僅かな寄付と、彼らのために祈ること、ぐらいしかない。

 

 大した役に立たないことはわかっている。ただ、まるっきり無意味でないことを、わたしは、日本人は知っている。世界が捧げてくれた祈りは、確かに、立ち上がろうとする上で力になった。

 

 今年も、もうすぐ3月11日がやってくる。

 

<この原稿は22年3月4日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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