大谷翔平は、サッカー界におけるペレのような存在だと勝手に思っている。100年に1度、何の前触れもなく、唐突に現れる不世出の存在。国籍や肌の色、文化の違いを超え、そのスポーツを愛する全世界の人々から畏怖され、愛される存在。それが日本に、人口約120万人の岩手県に生まれた。

 

 こんなことは日本のスポーツ史上一度もなかったし、当分はあるはずがない。と思っていたら、また現れた。ブラジルに次のペレは現れていないが、日本には次の「100年に1度」がもう現れた。

 

 サッカーにたとえていうなら、人口120万人弱のキリバスやミクロネシアにペレが生まれ、それが現役バリバリのうちにマラドーナが出現したようなものである。わたしの知る限り、どんなスポーツの歴史を紐解いてみてもありえないこと、ありえなかったことが、いまの日本で起きている。

 

 佐々木朗希と、ロッテと、井口監督が下した決断は、今後の日本のスポーツ界にも大きな影響を及ぼしていくだろう。どれほど偉大な記録の達成が目前に迫ろうとも、未来に悪影響を及ぼす危険性を感じればブレーキをかける。高校生はもちろんのこと、プロになってもかける。多くの人が、その実例を目の当たりにした。野球に限らず、多くのスポーツに、その影響は広がっていくことだろう。日本人の勝負論、スポーツに対する考え方自体が、変わっていく可能性がある。

 

 何より大きいのは、21世紀に入って少しずつ壊れてきた「日本人であることを敗因にしたがる性癖」にさらなる一撃が加えられた、ということだろう。世界で勝てないことを国民性や人種、運動能力に求めてきた発想が、これでまた少し、当たり前ではなくなる。

 

 考えてみれば、サッカー界におけるブラジルがブラジルたりえたのは、ペレの出現以降だった。ペレと、スウェーデンで勝ち取ったタイトルによって、ブラジルは自他ともに認めるサッカー大国の地位を確立することができた。

 

 サッカーでつかんだ自信は、F1やバレーボールなど、その他の競技にも波及していった。自分たちでも勝てる。自分たちには世界一の存在がいる。その自信が、小さくはないプラスアルファをうみ出していく。

 

 同じことが日本にも起きることを、わたしは期待している。たぶん起きるだろう、とも思っている。

 

 とはいえ、いままで勝てなかった分野で勝てるようになるのは簡単ではない。

 

 そして、その逆は易しい。

 

 ACLに出場した中国のチームがひどいことになっている。メンバーは2軍以下。出場した2チームは、2試合ずつ戦って得点ゼロ、失点は合わせて25という惨状である。

 

 ACLに力を入れても、代表はまるで強くならなかった。ACLに意味はない。国内リーグを重視する。彼らがそう考えるのは構わないが、ならば、AFCは中国に割り振っていた出場枠を激減させなければ、大会自体の価値が下がってしまう。

 

 8年前、地元開催のW杯でドイツに惨敗を喫したことで、ブラジルの自信は大きく揺らいだ。ペレをうみ、世界王者に5度輝いた国でさえ、一度の大敗で揺らぐことがある。

 

 さて、代表が惨敗し、クラブ・レベルでも勝てなくなった中国のサッカーは、これから何を支えに前へ進むのだろう。

 

<この原稿は22年4月20日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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