第33回 ハーフスイングは丸美屋のふりかけ

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 4月に入り雨の日が多かったですが、だいぶ気温が上がってきました。スポーツ観戦にもってこいの天気になってきましたね。どうやら暑いのは気温だけではなさそうです。野球界からは“熱い”ニュースが届いております。それではさっそく語っていきましょう。

 

 千葉ロッテの佐々木朗希が4月10日のオリックス戦で28年ぶりの完全試合を達成しました。20歳5ヵ月での達成はNPB史上最年少。13者連続三振は世界新、1試合19奪三振は日本新記録と記録づくめでした。さらに1週間後の日ハム戦でも“完全”でマウンドを降りました。

 

3球勝負を挑むロッテバッテリー

 

 いやぁ、160キロ以上で「速い速い」とは言いますがなかなか打てない。豪球投手はモーションが大きくなる傾向があります。クイックで投げようとすると下半身の動きに腕が追いついてこない、なんてこともあります。しかし、佐々木朗の場合は出塁することすら難しいんですから。

 

 2度目の完全試合を目前に8回102球で交代した時は「ちょっと球数が多かった」とのこと。もう次元が違いますよね。佐々木朗の活躍には高卒ルーキー捕手の松川虎生の貢献も大きいと思います。3球で勝負させる場面もありますから、相当根性はありますよね。振り逃げとかあってもおかしくないのにしっかり捕っているし、ブロッキングもしっかりしている。18歳ですよ? とんでもないキャッチャーですね。

 

 もし自分がバッターボックスに立ったら“バットをふた握りくらいあけるだろうな”と考えていたら、オリックスの吉田正尚が24日の対戦で実際にそうしたそうですね。佐々木朗に対してはツーストライクからのスリーバントでも揺さぶりをかけようなどなど各球団、対戦するバッターは佐々木朗対策を練りに練ってくるでしょう。

 

 海の向こうからもホットなニュースが。カブスに移籍した鈴木誠也が開幕デビューから9試合連続安打を放つなど活躍しています。彼は強靭な肉体を持っていることが大きいでしょう。2年ほど前、交流戦で西武ドームに来た時に、観に行きましたがフリーバッティングから凄まじい。おまけに足も速い。恵まれた身体能力に加えて彼は選球眼が良い。ボール球は振りませんからね。甘い球はファウルにせずに一発で仕留める。良いバッターの大事な条件を鈴木は満たしています。今後、厳しい攻め方をされるかもしれませんが、頑張ってほしいものです。

 

 そうそう、メジャー関連でもうひとつ。大谷翔平が所属するエンゼルスは今季、ホームランを打った選手は白いカウボーイハットをかぶっていますね。選手たちも楽しそうです。これを発案したのがコーチのティム・バスさんだそうです。彼の役職は「クオリティ・コントロール」。ベンチを盛り上げるような役回りだそうです。まるで演出家のようですね。

 

シーンとなる瞬間を狙うべし

 

 ベンチの雰囲気はものすごく大事です。僕が現役の時は1年しか一緒にプレーしていませんでしたが、クロマティは周囲を巻き込むのがうまかった。とにかく明るいんですよ。チームが勝っていれば自然と盛り上げる声も出てきます。僕がコーチだった時はみんなが静かだった時に意識的に声を出していました。シーンとなる瞬間を狙うんです。「あれ、今、康友さん、何て言ったんだ?」「あ、今、声を出していいんだ」と選手たちに思わせるように。

 

 雰囲気をよくするために“ギャグっぽい野次はないかなぁ”と常に考えていました。たとえば、バッターがハーフスイングをした時に「スイング! スイング!」と言うでしょう。その後に「丸美屋! 丸美屋!」って言うんです。そうすると選手たちは僕の方を見て「え? 何だ?」と。丸美屋のふりかけって有名ですよねぇ。そうすると星野仙一さんあたりが「ふりかけ(ハーフスイング)か!」とか「永谷園の方はおとなのふりかけや!」とか言ってくれたものです(笑)。

 

 もちろん、ちゃんとダイレクトに野球に関する声も出しますよ。だけど、少しわびさびというか、抜き差しの効いたセリフも入れていました。阪神あたりは少しベンチが暗そうですね。チームを上昇気流に乗せるためには、声も大事だったりするんですよ。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、東京五輪2020の聖火ランナー(奈良県)を務め、無事"完走"を果たした。

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