なぜイビチャ・オシムはかくも多くの日本人から惜しまれるのだろう。

 

 指導を受けた選手やスタッフ、ジェフのファンが嘆くのはわかる。だが、日本代表監督としてのオシムはわずか20試合を戦ったにすぎず、W杯本戦で指揮を執ることもかなわなかった。つまり、多くの日本人にとって、オシムとW杯は結びついていない。知名度は、惜しむ声は、もっと小さくても不思議ではない。

 

 世界的な実績や退任に至る経緯に差異があるとはいえ、同じく任期半ばで職を辞したアギーレは、すっかり忘れ去られた存在になりつつある。そう考えると、オシムを惜しむ声の大きさは圧倒的だ。

 

 理由は、……すぐわかった。アギーレは、いや、日本代表やJリーグのチームを率いたほとんどの監督は、サッカーの話しかしなかったし、いまも、しない。オシムは違った。彼は、サッカーの専門家を唸らせつつ、サッカーにまるで興味のない層にも響く話をした。

 

 ライオンに追われた兎が肉離れを起こしますか?――すっかり有名になったこの言葉は、サッカー以外の世界にも当てはまる。首位を独走する兎が虎に食われたプロ野球にも当てはまる。社会人の世界、学生の世界でだって使える。近年のサッカー関係者からは聞けなくなってしまった、実に普遍的な言葉だった。

 

 ここ数年、日本代表人気の低下が言われるようになった。メディアの多様化。森保監督の不人気。スター不在。理由はいろいろあるのだろうが、今回の訃報に接してふと浮かんできたのは、サッカー関係者が、メディアが、サッカーを難しくしすぎたのではないか、という自省の念だった。

 

 サッカーは日々進化している。この間まで有効だった戦術が、すぐに丸裸にされる。それはわかっている。わかっているのだが、「インテンシティー」「はめる」「デザイン」といった言葉が、果たして10年前に使われていただろうか。そして、仮に使われていたとしても、極めてマイナーだったことは間違いない言葉を、わたしたちは「みんなが知っている前提」で使ってしまっていないだろうか。

 

 

 そのことが、新たなファンにとっての高すぎるハードルになっていないだろうか。

 

 システムに縛られるな、ともオシムは言った。いま、この言葉に自信を持って「大丈夫、わたしは縛られていない」と答えられる日本人指導者が、解説者が、ファンが、どれだけいるだろう。システムやフォーメーションといった、コアなファンにしか響かない言葉ではなく、サッカーに興味がない人にも伝わる普遍的な視野を持つ人が、一体どれだけいるだろう。

 

 そして、コアとされるファンがどれだけ、自分たちにしかわからない言葉が飛び交っている世界に危機感を覚えていただろう。

 

 わたしは、覚えていなかった。

 

 恥ずかしながら、次から次へと出てくる新語を消化し使用するのは当然だと思い込んでいた。自分自身で新しい流行語を作り出そう、と目論んだこともあった。

 

 サッカーが進化しているというのであれば、野球もまた、進化を続けている。それでも、中継で使われる用語は、10年ぶりに見た人、聞いた人にも違和感なく伝わるレベルだとわたしは思う。

 

 少なくとも、サッカーに比べれば、段違いに。

 

<この原稿は22年5月5日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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