八幡浜高校入学時、文武両道から“文”の道一本へと絞ろうとした小池真理子(現TOKYO DIME)だったが、周囲がそれを許してくれなかった。なにせ小学生時にミニバスチーム、中学生時にはバレーボール部に所属し、身長170cmを超える。そんな彼女をバスケットボール部もバレーボール部も放っておくわけがなかった。

 

 彼女を1年時から2年間、指導した当時の女子バスケ部顧問・加藤愛子がこう振り返る。

「ウチのチームは県のベスト8レベルで、彼女が1年生の時はベスト4が目標でした。ウチには彼女ほど上背のある選手はいなかった。バレーボール部に行くという噂もありましたから、バスケ部に入るまでは私はドキドキしていました」

 入部した1年生のほとんどがミニバス出身。小池の伊方小ミニバス時代を知る同期の誘いもあり、彼女が選んだのはバスケ部だった。

 

 小池自身は小学生のミニバス、中学のバレーボールのように熱を入れてバスケをするつもりはなかったが、負けず嫌いの性格もあってすぐに熱中した。まずは3年のブランクを埋めるため、基礎練習をこなし感覚を取り戻していった。チーム最長身ということもあり、ポジションはセンター(C)を任された。ただCにしては線が細く、「接触プレーが苦手だった」という小池。彼女は自らの生きる道を切り拓くため、ゴール下のワンハンドで放つシュート、フェイドアウェイシュート、ミドルレンジのシュートを練習してテクニックを磨いた。シュートパターンの幅は伊方小ミニバス時代よりも格段に広がった。

 

「素質はもちろんですが、身長があり、走れるし、柔軟性もある。人の話もよく聞くし、周りを見て学ぶこともできる。やはりすぐに成長しましたね」(加藤)

 小池は1年時の全国高校総合体育大会(インターハイ)県予選のメンバーには選ばれなかったが、その年の新人戦から出場機会を増やし、9月の全国高校選抜優勝大会(ウインターカップ)県予選にも出場した。県総体で上位4校までが出場できるウインターカップ県予選。ここで優勝すれば全国大会にコマを進める。しかし準決勝は聖カタリナ女子(現・聖カタリナ学園)に31-84で完敗を喫した。全国大会常連のカタリナの壁は厚かった。

 

「緊張するような場面でも決めてくれる。シュートタッチも良いし、柔らかい。シュートが上手かった」

 そう加藤が評したように小池の決定力は高く、当時の八幡浜の得点パターンのひとつだった。小池の活躍もあり、2年時のインターハイ県予選は決勝まで勝ち上がった。

 

 そこでも小池と八幡浜に立ちはだかったのがカタリナだった。74-100で敗戦。カタリナには小池と同学年の藤原有沙という選手が主力にいた。のちに日本代表にも選出される藤原は、身長も小池に近かった。この試合では彼女とのマッチアップでも力の差を痛感した。

「ボックアウト(リバウンドのポジション争い)の時に身体がぶつかると、私の背中がバキバキいうほどでした。“これが全国の当たりか”と」

 ウインターカップ県予選は準決勝で敗れ、全国の道は遠かった。

 

 それでも小池は全国大会の舞台に立つことができた。秋に埼玉で行われた国民体育大会の愛媛県選抜少年女子チームに選出されたからだ。カタリナの一色建志監督が指揮を執る。12人の登録メンバー中、藤原を含む10人がカタリナの選手で、八幡浜からは小池が唯一選ばれた。選出の知らせを聞いた時、喜びよりも「なんで私が?」と驚きと不安の方が大きかった。

「ついていくのが精一杯でしたね。私自身、バスケの全国大会初出場でしたから」

 

 必死で食らいついた“スリーメン”

 

 監督の一色からは「中学の時にバスケやっていたら、ウチに引っ張っていたよ」と言われたという。それだけ小池のポテンシャルは高かったのだろう。埼玉国体で愛媛県選抜はベスト8に入った。小池は主力ではなかったものの、1回戦でコートに立った。カタリナ勢と厳しい練習を共にし、全国大会を経験したことで“もっとレベルアップしないといけない”と思いを胸に、八幡浜に帰ったのだった。

 

 3年時は本人曰く「“裏番長”と呼ばれていました」と笑うが、それも肯定的に捉えることができるだろう。元々、先頭に立ってリーダーシップを発揮するタイプではない。加藤が小池の同級生に聞いたところ、こんな答えが返ってきたという。

「真理子は多くを発言するタイプではないですが、話し合いの場で行き詰まった時など『要するにこういうことだよね』と、皆が見えていない客観的な意見を出し、まとめてくれる場面が多くあったように思います」

 

 しかしインターハイ県予選、ウインターカップ県予選はいずれもベスト4。八幡浜での全国大会出場は叶わぬまま、高校3年間を終えた。個人としては国体の愛媛県選抜に2年連続で選ばれた。チームは前年に続いてベスト8だったものの、小池のチームでの序列は前年より上がっていた。

 

 入学前はおぼろげながら、教師の道を目指していた。実際の進学先は当初想定していた愛媛大学教育学部でなく、鹿児島にキャンパスを置く国立の鹿屋体育大学となった。八幡浜高男子バスケ部の顧問は、鹿屋体育大の監督・清水信行と筑波大学時代に選手とコーチという間柄。その顧問からインターハイ県予選後に「バスケを続けたいんだったら、鹿屋体育大と繋げられるけど、どうする?」と提案されたのだ。

 

 鹿屋体育大に推薦で入学するためには、全国大会ベスト8以上が推薦枠に必要な基準だった。国体でベスト8を経験している小池は、なんとかその条件をクリアしていたのだ。大学側が“一度プレーを観てみたい”ということで、鹿屋体育大の練習に参加することになった。はっきりと「セレクション」と言われたわけではないにしても、小池のプレー次第では推薦にも影響を及ぼすことが予想できた。

 

 “スリーメン”と呼ばれる速攻の練習でひたすら走った。小池は“とにかくついていかなきゃ”という必死の思いで、食らいついた。小池の3年時には既に別の高校に転勤していた加藤も、実はこの“セレクション”を見学していたという。「真理子はついていっている。“すごいな”と思いました」と元教え子の成長を実感していた。

 

 一方、本人の感触はどうだったのか。

「ついていけてなかったとは思いますが、先輩たちにもフォローしていただいた。全くダメだったという感じではありませんでしたが、手応えはなかった。だから紹介していただいた男子バスケ部の顧問の先生から『推薦で採ってくれるって』と聞いた時にはメチャクチャうれしかったです」

 生まれ育った四国の愛媛を離れ、九州の鹿児島に渡った。

 

 大学入学直前に参加した合宿でスリーポイントを数本、いいタッチで決めた。合宿後、監督の清水からは、ある言葉を掛けられたという。はじめは小池の胸に届くものではなかったが、その言葉はいつしか現実のものとなるのだった――。

 

(第4回につづく)

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小池真理子(こいけ・まりこ)プロフィール>

1987年7月23日、愛媛県伊方町生まれ。小学4年でミニバスケを始める。中学ではバレーボール部に所属。八幡浜高校でバスケットボール部に入った。国民体育大会の愛媛県代表に選ばれ、ベスト8進出に貢献する。鹿屋体育大進学後、1年時から出場機会に恵まれる。4年時にはユニバーシアード日本代表にも選出された。卒業後はトヨタ自動車アンテロープスに入団し、Wリーグで3シーズンプレーした。現役引退後、約5年のブランクを経て3x3に転向。2018年、SHIBUYA SANKAKに加入し、翌年よりTOKYO DIMEに移籍。21年には3x3.EXE PREMIER2021でMVPにも輝いた。今シーズンよりキャプテンを務める。中からも外からもシュートを決められる万能型スコアラー。ポジションはPF、C。身長178cm。背番号71。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 


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