中野なゆは高校卒業後、拠点を茨城県に選んだが、半年でゴルフを辞めることまで考えた。その選択に後悔はないかと「また同じ状況になったら違う道を選びますか?」と尋ねると、彼女は、こう答えた。

「そんなことないです。絶対、茨城に行っていました」

 勝ち気な性格というだけが理由はないだろう。後ろを振り返ることはあっても後ろ髪引かれることはない。

 

 とはいえ研修生だからといって簡単に仕事は辞められない。しばらくはゴルフ場のキャディーとして残った。ラウンドに帯同する際、研修生と勘違いされることもあったが否定はしなかった。「実は半年間ゴルフを辞めていたこと、親は知らないんです」と中野。心配をかけたくなかったのが大きな理由で、当時は「練習している」と嘘をついたこともあったという。

「『応援しているから頑張ってね』と言ってくださる方もいた。家族も応援してくれていたので、“もう一度、やろう”と決めたんです」

 

“私にはゴルフしかない!”と、再びプロゴルファーへの道を歩み出した中野。拠点を千葉に移してからもキャディーなどで生計を立てながら、ゴルフの練習を積んだ。

「試合を出るにもエントリー費、プレー費がかかる。上位に入らないと賞金はもらえない。技術がないと、出るだけでは赤字になってしまうという考えから、当時は試合に出ることもあまりなかったんです。仕事と練習の繰り返し。自分の技術を試す機会はありませんでした」

 

 初の日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)プロテストは“復帰”して間もない19年に受験した。1次予選を33位タイで通過し、2次予選まで進んだ。2020年はパンデミックが世界を襲った。新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、数々のスポーツイベントが延期や中止を余儀なくされた。ゴルフ界もその例に漏れず、プロテストは翌年3~6月に持ち越された。中野は2次まで進んだが77位タイ。またしても合格ラインには届かなかった。

 

 同年8月から行われた3度目のプロテストは同じく2次予選で敗退。36位タイで通過ライン(上位30位タイまで)にわずか2打差に泣いた。

「この時は調子が良かった。ただアドレナリンが出て、ショットが飛び過ぎていた。グリーンを越えてティーグラウンドまで飛んだこともありました」

 強気で攻めることが裏目に出ることもある。ゴルフはショットだけではなく、心をコントロールも大事な競技だ。

 

 過去3度のプロテストはいずれも2次予選までだったが、通過ラインの差は徐々に縮まっていった。今年のプロテストは最終予選に進出。その意味で一歩一歩ではあるものの、中野自身も成長を実感している。

 

 成長を支える師

 

 現在、中野が師事する2人のプロがいる。1人はテレビ番組を共演したことがきっかけで教わるようになった天沼知恵子。JPGAツアーで6勝を挙げている天沼からはパターヘッド1個分の間隔で半径2mの円周上にボールを措き、連続でカップを狙う練習を教わった。「練習をやっていくうちにパターが好きになっていきました」。もう1人は男子の現役プロで、賞金王に輝いたこともある池田勇太だ。池田からはコースマネジメントなどを教わった。コースのレイアウトと自分のショットの特徴、風や芝の状態などを考慮した上で、どこに打つべきか、どう攻めるべきかを考えること。2人からの教えが血となり、肉となりゴルファーとしての素地を養っている。

 

 20年にゴルフ用品メーカー、RYOMA GOLFと用具契約。ウェア契約はFR2GOLFと結んでいる。21年からは若手女子ゴルファー育成大会「マイナビネクストヒロインゴルフツアー」に参戦しており、ゴルフ番組に出演するなど、徐々にではあるが、その名を売ってきている。スポンサーも増えてきて今年1月には、アルバイトせずとも競技を続けられるようになった。11月にスポンサーのひとつだった株式会社大倉と所属契約を結んだ。専門家によるトレーニング方法や身体のケア、食事の管理などの指導、生活全般におけるサポートを受けられるようになったのだ。

 

 プロゴルファーになるのは、自分だけの夢じゃない。

「自分1人の夢だったら、とっくに諦めていると思います。これまで家族は金銭的、精神的に支えてくれて、今も応援してくれている。その気持ちに応えたい。そして私がお金持ちになって裕福な暮らしをさせてあげたいという気持ちもあります」

 家族だけではない。これまでサポートしてくれた人たちへの恩返しは、プロとなり、その世界で活躍することだ。

 

 一喜一憂するタイプではない。ゴルフの試合に勝っても派手なガッツポーズはしない。「あまり感情が表に出るタイプではないので、『冷たい』と言われることもあります」。物事に冷めているというわけではない。中野が大事にするのは“感謝”と“謙虚”。それが彼女のモットーであり、強さの根源なのかもしれない。

 

 そんな中野が好きなアーティストは、“Z世代の歌姫”と呼ばれる、ちゃんみな。中でも『PAIN IS BEAUTY』は、試合前などによく聴く曲だという。サビに<痛みって美しいんだ。私を綺麗にしたんだ>とのフレーズがある。ちゃんみな本人は2017年にこの曲をリリースした際、billboard JAPANのインタビューにこう答えている。

<悲しい経験をしても「あら~すごく悲しかった~トラウマだわ~ヒロインみたい~」みたいに片付けるんじゃなくて、それは将来、絶対にその分だけ綺麗になると思うし、その分だけ強くなれると思う>

 

 中野はこれまで紆余曲折、波乱万丈の人生を送ってきた。挫折や逆境を経て、今に至る。全4回のコラムで紹介したこと以外にも“痛み”の記憶はある。だが、それらの“痛み”の分だけ、強くなってきた。そして追いかけてきた夢を叶えるため、彼女は戦う――。

 

(おわり)

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中野なゆ(なかの・なゆ)プロフィール>

1999年6月25日、高知県高知市生まれ。6歳でゴルフを始める。小学生から高校までで国民体育大会に2回出場するなど、全国大会には13回出場した。高知県ゴルフジュニア選手権は2回、四国のジュニア大会は3回優勝。高校卒業後、関東に拠点を移し、ゴルフ場の研修生キャディーなどを経て、現在は日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)のツアープロを目指している。今年4月、プロを目指す若手のための大会「マイナビネクストヒロインゴルフツアー」の開幕戦を制した。今季は安定した成績を残し、同大会のポイントランキングで3位、賞金ランキングで5位だった。平均飛距離は230yard。得意クラブはパター。身長155cm。

 

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(文・写真/杉浦泰介)



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