走ることは人生そのもの。陸上があったからこそ多くの人とつながれた ~プロランナー吉田響インタビュー~
今年元日の「全日本実業団対抗駅伝競走大会」(ニューイヤー駅伝)で快走を見せた吉田響選手。プロランナーとして、今後はフルマラソンでの活躍を見据えている。そんな吉田選手と当HP編集長・二宮清純が、繊細な“走りの世界”について語り合う。

Ⓒ稲治毅
二宮清純: まずはニューイヤー駅伝についてお聞きします。最長区間の2区(21.9㎞)を任されて22人をごぼう抜き、1時間1分1秒の区間新記録で区間賞を獲得。文字通りの快走で大きな話題になりました。走り終えての感想は?
吉田響: 楽しかったですね。当日は雲一つない快晴で、風も追い風気味だったのでとても走りやすいコンディションでした。私の専任コーチである瀧川大地コーチと事前に話していた目標タイムは、1時間1分20秒だったので、目標を上回るタイムで走ることができました。
二宮: 陸上を始めたのは、いつからですか。
吉田: 本格的に始めたのは中学校に入ってからです。でも、最初は全く速くなくて、サッカーのクラブチームに入っている子たちのほうが速かった。それでも2年生ぐらいから徐々に記録が伸びていき、中学3年時に全国大会に出場しました。
二宮: 東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)を走りたいと思ったのはいつごろ?
吉田: 東海大学付属静岡翔洋高校2年の時、「しずおか市町対抗駅伝」に出身地の御殿場市チームの一員として出場しました。その時に解説者の金哲彦さんが、「この選手、山登りに向いていますよ」と評価してくださった。それで「自分も“山の神”になりたい」と思い、箱根の5区を意識するようになりました。
二宮: 実際、東海大に入学して1年生でいきなり5区を任され、7人を抜く区間2位の走りが話題になりました。でも正直なところ、5区はしんどいでしょう?
吉田: しんどいですね。もう走りたくないと思うくらいきついです(苦笑)。
二宮: 今年の箱根は青山学院大学が3連覇を果たしましたが、5区を走った黒田朝日選手が従来の記録を1分55秒も更新する1時間7分16秒の区間新記録を出して、3連覇の立役者となりました。吉田選手は創価大学時代、黒田選手と一緒に走った経験をお持ちですが、あの走りをどう見ましたか。
吉田: もう人間業じゃないです(笑)。あの記録は、当分破られることはないと思います。
二宮: 走る側の意見として、5区はどこが見どころなのでしょうか。
吉田: 小涌園(約11.7㎞地点)を越えたあたりからみんなきつくなります。そこからどれだけ粘れるかが勝負になるので、そのあたりが一つの見どころだと思います。
二宮: 他に5区で重要なポイントは?
吉田: 大平台(約7㎞地点)を越えて8kmから9kmあたりは若干平坦になります。宮ノ下からの急坂を前に、そこでどれだけ心拍を落ち着かせることができるかが、個人的には重要だと思っています。
二宮: 鮮烈な“箱根デビュー”からさらなる活躍が期待されたわけですが、2年生秋の箱根駅伝予選会後から調子を崩したそうですね。
吉田: 予選会を走った後、2~3週間ほど自宅療養していました。1年生の時は信頼する瀧川コーチにマンツーマンで指導をしてもらっていましたが、2年生になって退任。加えて部内の空気が、自分が目指したいものとギャップがあり、心身ともに疲れ切っていました。
二宮: ギャップというのは、もっと上に行きたい、優勝したいという気持ちが強かったということでしょうか。
吉田: そうですね。ただ、いまにして思えば、私が先を見過ぎていたというところもありました。
二宮: その後、3年生の4月から創価大に編入するわけですが、その経緯は?
吉田: 結局、2年生の2月に退部して一度地元の御殿場に戻りました。それで大学もやめるかどうか悩んでいた時に、同じ御殿場出身で創価大駅伝部前監督の瀬上雄然さんから、「響さえがよかったら、もう一度ウチで箱根を目指さないか」と声をかけてもらったんです。最初は頑張るのがしんどくて断っていたのですが、何度かお話するうちに、「山の神になる」という目標をもう一度目指したいと思うようになり、創価大への編入を決断しました。
二宮: もし、瀬上さんから声がかからなかったら、社会人チームに入っていた可能性はありましたか。
吉田: いや、トレーニングもできていませんでしたし、本当にメンタルがきつすぎて先のことは考えられなかったので、走ること自体やめていたかもしれません。
(詳しいインタビューは2月28日発売の『第三文明』2026年4月号をぜひご覧ください)

<吉田響(よしだ・ひびき)プロフィール>
2002年8月20日、静岡県御殿場市出身。中学時代から陸上競技を始め、東海大学付属静岡翔洋高校時代に長距離ランナーとして頭角を現し、全国大会でも実績を積む。東海大学進学後、1年生で「東京箱根間往復大学駅伝競走」(箱根駅伝)の5区を任され、区間2位の快走を見せる。2年生の秋に心身の調子を崩し、3年生の4月から創価大学に編入。箱根駅伝では2年ぶりに5区を走った。4年生の箱根駅伝では2区を走り、区間記録を更新する区間2位の成績を残した。大学卒業後はプロランナーに転身し、サンベルクスとスポンサー契約を締結。同社陸上部の一員として出場した今年の「全日本実業団対抗駅伝競走大会」(ニューイヤー駅伝)では2区を走り、22人抜きの区間新記録でチーム初の5位入賞に貢献した。