西本恵「カープの考古学」第96回 <浮沈を占う3年目のシーズン編その6/“広島の鯉”と“山口の鯨”の戦いに苦難あり>

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 カープは3年目のシーズン、6月までの試合を終えた。シーズン序盤、苦戦したのは大洋ホエールズだった。大洋は下関に本拠地を置いていた。カープとは隣県同士のつながりがあり、また互いに下位争いをしていた。しかし、その大洋に対しても、6月末時点で、2勝5敗と水をあけられた感があった。カープ(鯉)とホエール(鯨)の決戦で、鯉は鯨に大きく引き離され、さらに7月に入っても苦戦を強いられる。長いシーズンを鯉はなんとか泳ぎきることができるかどうか。鯨との3連戦は、山口県の防府市、徳山市(現・周南市)から、大洋が本拠地を置く下関市までを転戦しながら行われた。

 

 2リーグ制がスタートした初年度のプロ野球は、大洋が本拠地を置く山口県、西鉄クリッパース(後の西鉄ライオンズ)と西日本パイレーツ(1シーズン限りで消滅)の福岡県、カープの広島県、西日本の野球ファンにとって、にぎやかな並びとなった。

 三県連なりの中で、広島、山口、福岡の真ん中、山口県を横断しながらの3連戦であった。

 

大洋に勝てない

 カープは大洋に勝てない。そんなことが吹聴されかねない状況で試合を迎えた。

 7月15日、防府市での初戦、カープは新人の大田垣喜夫を先発に立てた。立ち上がりに安定感のある大田垣であったが、1回裏、大洋の攻撃は、2番の宮崎剛、4番の岩本義行の長短打であっさり先制された。わずか1点ながら、この悪い雰囲気を吹き飛ばそうと、カープは4回裏から早々と継投策に出た。

 

 ピッチャー交代、杉浦竜太郎——。だが、代わった杉浦も、岩本に四球を与えて崩れ始め、この回2点を失い、5回にも失点した。

 

 カープは3人目の投手として、6回裏から野崎泰一をつぎ込んだ。その代わりばなを大洋の先発投手・有村家斉が叩いてホームラン——。結果、さらに勢いづいた大洋打線が、この回3点をあげて、0対7と勝負が決した。

 

 以降、両チームが2点ずつを挙げたものの、勝ち負けの趨勢は変わらず、2対9。カープは大洋との力の差を見せつけられた。

 

 第2戦は7月16日、場所を徳山市に移動して行われた。初戦を落としたカープは、大洋への苦手意識がつきまとうせいか、この試合は完璧にやられた。

 

 大洋は第2戦、エースの高野裕良を配した。対するカープの先発は、あの広島県庁軟式野球部から入団した渡邊信義であった。カープとしては、第1戦に大田垣、杉浦、野崎を使い果たした末の苦肉の策だったのだろう。案の定というか、大洋が先取点を奪う展開となり、いきなりのピンチだ。しかし、渡邊はここで踏ん張った。

<初回走者一、二塁のピンチを辛うじて脱した>(「読売新聞」昭和27年7月17日)

 

ピンチは続く、どこまでも

 渡邊はなんとか初回を切り抜けた後、2回裏はゼロで抑えた。このまま波に乗りたかったが、3回裏、前年から野手に専念した名手・武智修がゴロをトンネル——。ピンチを招くと、4番の岩本に左中間に大きな打球を放たれ、6番の平山菊二のショートへの打球は、白石勝巳(前・敏男)の足下を抜いた。この回、3点を献上して勝負あり。それだけ、この日の大洋先発・高野の出来が素晴らしかった。ピンチらしいピンチといえば、2回裏、4番の大沢清、5番の武智の連続安打のみ。あとは完璧ともいえるピッチングでカープ打線は沈黙させられたのである。大洋は6回裏に1点、8回裏にダメ押しの2点を挙げた。

 

 カープは0対6のワンサイドゲームのまま試合終了――。大洋との対戦成績は2勝7敗となった。

 

 さて、せめて一つだけでも取らなければならない、とはカープの当然ながらの思いであある。第3戦目には、沈黙していた打線に当たりも出始める。大洋の先発は、投打の二刀流の清水秀雄。一方、カープは満を持してエース長谷川良平をマウンドに送った。

 

 長谷川は初回と2回をゼロで並べたが、3回裏に1失点を許すと、続く4回裏にも、木村保久のタイムリーヒットで2点目を献上した。エースで落としたら、勝つ試合はないとばかり、カープ打線は気合を入れたのか、6回表は岩本章、大沢らの長短打を重ねた攻勢で2点を返し、追いついた。このまま長谷川が踏ん張ってくれるかと思いきや、6回裏、大洋の岩本にホームランを浴び、逆転された。

 

 大洋は清水から、江田孝、そして前日に完封勝利した高野とつないで、継投策で逃げ切りを図る。カープは高野の代わりばなに、塚本博睦がタイムリーを放ち、再び同点とした。

 

 カープは3連戦の初戦と、第2戦で投手をつぎ込んでいたため、この日はマウンドをエースに託した。

 ところが、大洋の攻撃には連勝中の勢いもあり、8回裏にランナーを置いた場面で、藤井勇と木村勉らの長短打によって2点を挙げ、3度目のリードを奪った。

 カープは最終回の攻撃で、門前眞佐人のホームランで、1点差まで詰め寄ったが、ここまでだった。エース長谷川は完投したものの、4対5で大洋戦3連敗を喫するのである。

 

石本の投手育成手腕

 この3連敗は尾を引いた。上位をひた走る読売ジャイアンツや大阪タイガース、名古屋ドラゴンズ相手ではないからだ。7月27日のダブルヘッダー、これまた大洋戦の第1試合まで、負け続ける。昭和27年のシーズン、カープはシーズン最多タイの8連敗を記録してしまうのである。

 

 カープには、救世主が必要であった。勝率は常に2割台であり、もはやプロチームの体を成していないと揶揄された。この時点において、第2戦で先発した渡邊が救世主となろうなど、誰が予想できたであろうか——。しかしながら、大化けさせる石本秀一監督の投手育成の手腕は、計り知れないものがあった。渡邊は1年前までは軟式野球部に所属していた。石本は前年夏の入団から1年間、じっと我慢をして渡邊を使い続けた。

 

 この渡邊信義という存在がいなければ、この年、セントラル・リーグ連盟からのお達しである「勝率3割を切ったチームの処遇は連盟に委ねる」という、いわば“カープ潰し”とも言える規定によりチームは消滅していたであろう。

 

 さて、いよいよカープの3年目の戦いも夏本番に突入する。「浮沈を占う3年目のシーズン」編は今月で終回とさせていただき、来月からはカープ3年目シーズンの救世主、「カープを救った“単月エース”渡邊信義」編をお送りする。“単月エース”とはカープファンとて、耳に馴染みのない言葉だろう。戦力不足の中、リリーフから先発投手として鞍替えした男の奮闘ぶりをお伝えする。ご期待あれ。

 

【参考文献】

「読売新聞」(昭和27年7月16日、17日、18日)

 

西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>スポーツ・ノンフィクション・ライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。2018年11月、「日本野球をつくった男--石本秀一伝」(講談社)を上梓。2021年4月、広島大学大学院、人間社会科学研究科、人文社会科学専攻で「カープ創設とアメリカのかかわり~異文化の観点から~」を研究。

 

(このコーナーのスポーツ・ノンフィクション・ライター西本恵さん回は、第3週木曜更新)

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