2020東京オリンピック・パラリンピックを控え、19年はパラリンピック関連の様々な報道がありました。その中から2つピックアップします。

 

<東京パラリンピック開幕まで25日で1年となるのを前に、共同通信が全国の障害者を対象にアンケートを実施したところ、「大会が障害の理解につながる」との回答が62%に上った。選手の活躍や大会の盛り上がりによって障害への関心が高まり、差別や偏見が解消されるとの期待が大きい。一方で、一過性の盛り上がりに終わることへの懸念も根強く、政府が掲げる「共生社会の実現」には大会後も継続的な取り組みが求められそうだ。>(共同通信2019年8月17日配信)

 

<東京大会開催が決まった二〇一三年以降に「バリアフリー化や周囲の障害理解が進んだ経験、実感があるか」と尋ねたところ、「なし」(66%)が「ある」(34%)を大きく上回った。「最近、障害を理由に周囲の言動で差別を受けたり感じたりしたことがあるか」との質問には36%が「ある」と答え、共生社会の理念が浸透していない。>(東京新聞2019年8月18日付朝刊)

 

 どちらもパラリンピックの開催が「障害」と社会のあり方にどう影響したかについて述べられており、<大会後も継続的な取り組みが求められそうだ。>、<共生社会の理念が浸透してない。>と、共生社会の実現には道半ばであると締めくくられています。が、社会全体を俯瞰すれば、パラリンピックの開催は着実に社会を変えつつあります。

 

 社会変革への取り組みは、政府や地域、企業、団体、そして個人的なグループや個人、それぞれ様々なものがあります。私たちSTANDはそれをパラスポーツで行っています。パラスポーツが共生社会に向けたソリューションのツールとして有効だと考えているからです。その理由の中のひとつに挙げられるのが「慣れる」ことです。「慣れるとは?」と疑問に思った方も多いかもしれません。スポーツは「慣れる」のです。

 

 スポーツをしたり、見たりすると、身体の形や動きがよくわかります。障害のある人と一緒に行うと、自分とは形が違う、動き方や可動域が違う、などがわかりやすい。また、できることとできないことの違い、感情の持ち方や表現の違いもわかります。それに対し、初めは多くの人は戸惑ったり、違和感を覚えたりします。見たことがない、自分と異なることへの違和感。どう接していいかわからないという不安、見てはいけないのではないか、聞いてはいけないのではないか……。そんな感情を抱くのではないでしょうか。

 

 実は私もそうでした。初めて車いすに乗った人に会ったとき、何を話していいかわからず困惑した経験があります。「車いすに乗った人」が「特別」に思えて、どうしていいか戸惑ったのです。

 

 そこで、「慣れる」についてです。パラスポーツを繰り返し観戦したり、形や動きの違う人と一緒にスポーツをしたりを続けると、実は、慣れてきます。抵抗がなくなったり、「ここが違うだけ」、と思えるようになってきます。障害を意識せずに接することができるようになります。これが慣れるという大きな変化なのです。

 

 すると自然に、例えば車いすに乗っている人と一緒だから、スロープやエレベータのあるルートを自然に選んで移動するようになる。こうなったらいいな、と社会の中の仕組みに気がつくようになり、工夫したり、変えようと行動するようになります。

 

 スポーツは「慣れる」ことができる手段として有効です。つまり社会変革活動に有効なひとつなのです。パラスポーツに接する機会が劇的に増えた今、1回やったことがある、見たことがあるから「もういい、わかった」と思いがち。いえ、ちょっと待って。慣れるためには繰り返すことがとても大事なことなのです。

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>

新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。スポーツ庁スポーツ審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。

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