第110回 「支援する事業」の違和感

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 じっとしていたら出会うはずのない方とお目にかかれる機会は、本当にありがたく思っています。その場をつくってくださる方に感謝でいっぱいになります。例えば会合や講演などですが、実はその際に違和感を覚えることがあります。それは「パラスポーツを支援している伊藤さん」、「障害者をサポートしているSTANDさん」と紹介していただくことです。「あれっ?」という違和感です。


 支えている、支援している、サポートしている--。私をご紹介いただく際にこうした言葉がすっと自然に出てくるのは、障害のある人は弱い立場だから支援やサポートが必要で、伊藤やSTANDはそれを行っている人やNPO法人という認識だからでしょう。

 

 私はパラアスリートやパラスポーツのことを支援もサポートもしていません。そう言っていただくのはおこがましい、申し訳ないと感じます。私はパラスポーツを通して共生社会を目指して事業を行っています。パラスポーツは社会変革のための道具、手段として有効ですし、障害は人ではなく社会にあると考えています。人を支援するために活動を行っているという感覚ではないのです。共生社会に向かって社会の仕組みをちょっとずつ変えられないか、そう考えて取り組んでいます。

 

 そういえばNPOを設立したころ、「伊藤さんは元々福祉関係の方に見えませんねえ」とよく言われれました。「障害」に関わっている人は「福祉関係者」だというのが自然な感覚だからなのでしょうか。また最近インタビューの後、「心の優しい方」と望外の誉め言葉をいただきました。これは正直すごく嬉しく思い、涙が出そうになりました。でも、こうしたことにも違和感を覚えるのです。そんな心持ちのときでも、「障害」に関わって事業をしている=支援している=優しい、そういう図式からくる言葉なのだと想像してしまうからです。

 

「障害は人にではなく、社会にある」というのは、例えばこういうことです。目的地が目の前にある。でもそこは30メートルの高さのところにあり、目の前は絶壁。この状況ではすべての人が目的地に行けない。行くことができない。ここでは全員支援が必要です。そこでエレベーターを設置した。すべての人が目的地に行ける。全員支援は必要ありません。歩けない、立てない、見えないことが目的地に行けない原因=障害ではなく、絶壁が障害である。これが「障害は社会にある」という考え方です。

 

「支援をしている」と紹介していただくたびに、もちろんその場で「違います」と否定はしません。でも、申し訳ないと思うとともに違和感は大きくなっています。障害が社会にあること、その人=弱い人という思い込みがなくなること。一方的に支援を必要としているのではないこと。こうしたことの理解が進めば、STANDの事業が「障害のある人を支援している」と紹介いただく場面はなくなっていくはずです。「障害=支援」の感覚が変わっていくからです。ゆっくりゆっくりなのかもしれませんが。

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>

新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。スポーツ庁スポーツ審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。
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