(写真:会見後の記念撮影<左から川合理事・事務局長、フセイン、ナッケン首席副代表>)

 13日、2016年リオデジャネイロ、21年東京パラリンピックに難民選手団の一員として出場したパラ水泳のイブラヒム・アル・フセインが、自身が設立した難民アスリート支援団体「ATHLOS FOUNDATION」(以下アスロス)と、日本における国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の公式支援窓口となる国連UNHCR協会などの協力により、日本ツアーを実施する。フセインは昨年の東京パラリンピック以来の来日となる。このツアーに向けての想いを、東京・日本記者クラブで開かれた会見で語った。

 

 前日にギリシャから到着したばかりのフセイン。「昨日は日本の空港で温かい歓迎を受けた。自分の国に帰って来たような感じ」と笑顔を見せた。現在ポルトガルで開催中の世界パラ水泳選手権大会ではなく、この日本ツアーを選んだことについて、「障がい者難民の代表としてここに来た」と胸を張った。約2週間の滞在で、車いすバスケットボールチーム・埼玉ライオンズとの合同練習のほか、東京パラリンピックのホストタウンである文京区の小学校訪問など様々なイベントに精力的に参加する。

 

(写真:「将来的には障がい者難民を支援する村をつくりたい」と夢を語るフセイン)

 シリア出身のフセインは、内戦で友人を救うために砲撃の中に飛び込み、右脚の一部を失った。トルコを経て、治療のためギリシャに渡る。元々はアジアチャンピオンだった父親と同じスイマーだったが、ギリシャでは20の障がい者スポーツクラブから断られた。ようやく受け入れてくれた車いすバスケチームで競技を始めた。

 

「スポーツが私を助けてくれた」とフセインは振り返り、こう続ける。

「社会に溶け込むができた。スポーツを通じて言葉、慣習を知れた。ギリシャ語はクラブを通じて出会ったコミュニティで学んだ」

 ギリシャ語は語学学校に通わず習得したという。水泳を再開すると、リオと東京のパラリンピック2大会連続出場を果たした。リオ大会では旗手も務めた。

 

 そのフセインが障がい者難民を支援する目的で設立したのがアスロスだ。「私が経験した絶望を他の障がい者の皆さんに味わってほしくなかった」。既にアスロスは障がい者難民スポーツキャンプを、ライプツィヒ、イスタンブール、アテネの3都市で実施した。「障がい者難民スポーツ振興の土台ができた」とフセインは言う。

 

(写真:「イブラヒムが障がい者難民アスリートのパイオニアになる」と今矢氏。彼の情熱に胸を打たれた1人だ)

 今回の日本ツアーは、アスロスの日本メンバーの尽力によって実現した。約10年、パラアスリートの支援を行ってきたブルータグ株式会社の代表取締役社長の今矢賢一氏、埼玉県の会社員・加納宏紀氏らによって進められたプロジェクトだ。IPCの公式イベントに参加したフセインの日英通訳を務めた今矢氏は「彼の言葉を生で届ける機会をつくりたかった」という。昨年末、この日本ツアーを企画し、実現へとこぎ着けた。

「私たちは小さな団体。このツアー実現に国連UNHCR協会、スポンサー企業の方々などが大きな力になりました。ここで改めて感謝を述べたいです」

 

 フセインは東京パラリンピック以来の来日。日本の印象を尋ねると、「前回は難民代表の1人として来た。日本の方たちが愛情、関心を示してくれて、非常にうれしかった。アスロスの活動で、日本が一番成功する国であろうと感じている」と答えた。文京区の小学校訪問のほか、埼玉の川口北高校では交流イベントも行う。

「文京区のふれ合いは非常に楽しみ。これからの励みになる。次の世代は一番重要なもの。この先、より良いものにするために、私が持っている全てを伝えたい」

 

 会見に同席したUNHCR駐日事務所のナッケン鯉都首席副代表は、世界の難民情勢をこう説明する。

「先月、UNHCRの本部から故郷を追われた人が1億人を超えたと発表がありました。私たちはとても重く受け止めています。この数は第二次世界大戦後、ずっと増え続けている。一番大きい原因は紛争が終わらないこと、新しい紛争が次々と起こっていることです。世界各国が外交努力をし、平和が訪れるように努力する必要があると思います」

 

(写真:時折、白い歯を見せるなど和やかな雰囲気で会見は進められた)

 フセインが滞在中の6月20日は、国連が制定した「世界難民の日」である。このタイミングでの彼の招聘を計画し、実行したのは、「アスロスの活動、イブラヒムのストーリーをより多くの人に伝えていけるきっかけになる」(今矢氏)からだ。国連UNHCR協会は毎年、世界難民の日に合わせて音楽やスポーツイベントを行ってきたが、今回のような難民パラアスリートによる日本ツアーは初めての試みだという。

 

 国連UNHCR協会の川合雅幸理事・事務局長は今回のツアーの目的のひとつ、「RECONNECT」(再び繋がる)に期待を寄せる。

「フセイン選手は難民、障がいという困難を抱えながら生き抜く力を持つ象徴的な存在。この2週間の間、スポーツを通じて学校、企業の方々と交流していただくことで、1人でも多くの方に世界の難民の状況を知っていただく機会になる。また若い人たちの意識の高さやエネルギーを今後のイブラヒム選手の活動に役立てていただければと考えています」

 

 東京パラリンピックは昨年閉幕したが、それぞれの物語が終わったわけではない。今回の日本ツアー目的は「RECONNECT」のほか、「RECOGNIZE」(認知)、「NEWCHALLENGE」(新しい挑戦)。障がい者難民の現状を伝え、新たな道を切り拓く。リオ、東京パラリンピックで難民選手団は個人種目の出場だったが、いずれはチームスポーツで世界大会出場を目指す。今矢氏は「夢と希望に繋がる2週間にしたい」と意気込んだ。このツアーが、日本と障がい者難民を繋ぎ、平和や共生のきっかけとなることを期待したい。

 

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(文・写真/杉浦泰介)