愛媛県北宇和郡松野町は、県の西南部に位置し、高知県と隣接している。県内で一番人口が少ないまちだ。町土の80%以上が森林、四万十川の支流である広見川と目黒川が流れる自然豊かな地で、キックボクサー大谷翔司(スクランブル渋谷)は生まれ育った。

 

 幼少期はどんな子供だったのか。本人は「手のかからない子だった思う」と振り返る。母・千波(ちなみ)によれば、「山や田んぼ、畑で泥だらけになって遊ぶ。歩き始めるのも早く、元気な子でした。ワガママを言ったり、特別悪いことをしたりもしなかった」という。本人曰く「恥ずかしがり屋だけど目立ちたがり」との性格。地元のガキ大将ではなく、ケンカに明け暮れたという“武勇伝”もない。

 

 当然、格闘技への憧憬はまだなかった。最初に夢見たのはプロ野球選手。小学1年生で地元の吉野生スポーツ少年団に入り、ソフトボールを始めた。ポジションは主にショート。高学年になるとクリーンアップを任された。プロ野球・巨人のファンで、憧れは同じショートの二岡智宏だった。中学からは軟式野球部に所属。2年時からは硬式野球のクラブチームと掛け持ちしていた。

 

 卒業後は、硬式野球一本で宇和島市内の県立吉田高校に進んだ。中学時代、クラブチームでプレーした仲間が進学していたことも決め手となった。大谷は一般受験で入学。目標はプロ野球選手ではなく甲子園に切り替わっていた。しかし、3年間で高校野球の聖地に足を踏み入れることはできなかった。夏に野球部を引退。一般的には進学するため勉強に励むか、就職に向けて動き出すが、大谷は違った。

 

「勉強という選択肢は一切なかった。自分は運動が好き。身体を動かしていたかった」。高校の寮から市内のキックボクシングジムである武勇会館に通った。なぜかというと、中学時代から格闘技に夢中になっていたからだ。出合った時はテレビの中の世界だった。2000年代初期、日本は格闘技ブームが起きていた。大谷は、家で総合格闘技のPRIDE、立ち技格闘技のK-1の放送を録画しては何度も視聴した。試合を観た後の休み時間は“寝技ごっこ”で遊んでいた。

 

 いつしか憧れの対象はPRIDEで活躍したエメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)、アントニオ・ロドリゴ・ノゲイラ(ブラジル)という“人類最強”を争う者たちだった。高校の授業が終わると、自転車で1時間半かけて武勇会館に向かい、夜遅くまで練習した。そこから帰宅するという日々を過ごした。「どんどん上達でき、やっていって楽しかった」。ハードではあったが、充実していた。

 

 ファイターとしての幹

 

「高校1年の時点で大学進学という考えは捨てていました」

 高校卒業後、彼が進んだ道は自衛隊だった。聞けば、近くに自衛隊の広報官を務める人がおり、入隊希望者を探していたという。その人は大谷の父親の知人でもあった。偶然の出会いとはいえ、「身体を動かすことが好き」という大谷にとって、理想に近い進路だった。

 

 入隊後は香川県の善通寺市駐屯地で6カ月の教育を受けた。その期間でどこに配属されるかが決まる。一般企業における研修期間といったところだ。

「たまたま教育期間中に自分がキックボクシングをやっていることを知ったある教官が僕のことを気にかけてくれるようになったんです。入隊してからは、その方が面倒を見てくれるようになりました」

 普通科に入隊し、徒手格闘訓練隊に配属された。自衛隊の徒手格闘とは、日本拳法を基本に、投げ技や絞め技を加えた格闘術だ。「僕は元々のキックボクシングのスタイルを崩したくなかったので、日本拳法スタイルではやりませんでした」。大谷は上官の許可を得て、自らのスタイルを貫いた。

 

 徒手訓練隊は陸上の競歩やボクシング、ウエイトリフティングなどでオリンピックを目指す選手の集まる自衛体育学校とも違う。「(自衛隊体育学校は)エリート。もっと実績のある人たちが引き抜かれるケースが多い。徒手格闘訓練隊は一般の業務に加えて、部活動というかたちなります」。“部活動”とはいえ、トレーニングが日常の仕事。ランニング、ウエイトトレーニング、スパーリング……。日々の過酷な訓練で鍛えられたフィジカルが、大谷のファイターとしての幹となっている。

 

「好きなことをやれているので、めちゃくちゃ楽しかった。毎日、朝から晩まで運動ができて飯もいっぱい食べさせてもらった」

 数カ月に1回、遠征として別の訓練隊の駐屯地に赴いた。合同練習、試合を行うが「旅行気分だった」と肩肘張らず楽しんだ。日本拳法の大会では四国大会を制するなど実績も積み上げていった。

 

 自衛隊は大谷の天職にも思えたが、彼は23歳で約5年勤めた自衛隊を離れる決意をするのだった。

 

(第3回につづく)

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大谷翔司(おおたに・しょうじ)プロフィール>

1991年1月12日、愛媛県北宇和郡松野町生まれ。小学1年時にスポーツ少年団でソフトボールを始め、中学・高校は野球部に所属した。高校卒業後は陸上自衛隊に入隊。約5年間歩兵部隊に配属される、徒手格闘訓練隊で鍛錬を積んだ。23歳の時にプロ格闘家になることを決意し、自衛隊を退職。アマチュアで14戦12勝2分けと負けなしで、「第13回J-NETWORKアマチュア全日本大会~秋の陣~」で優勝を果たした。15年に上京後はスクランブル渋谷で鍛え、16年4月プロデビュー。20年8月のINNOVATIONライト級王座決定戦で紀州のマルちゃんを破り王座獲得。21年12月には紀州のマルちゃんと再戦を行い、1ラウンド1分21秒KOで初防衛に成功した。プロ通算15勝7敗3分け。身長178cm。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 


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