今年4月に創部したばかりのベアーズ女子陸上部Bears Camellia(ベアーズカメリア)は、2024年度の全日本実業団対抗女子駅伝競走大会(クイーンズ駅伝)出場を目指す東京都のチームだ。23歳の河内彩衣琉(こうち・あいる)はベアーズカメリア1期生。彼女は強豪・松山大学出身だが、ここまで華々しいキャリアを歩んできたわけではない。今はまだ“未完”の長距離ランナーの実像に迫る。

 

 東京都に拠点を置くベアーズカメリア。一方の河内は愛媛県伊予市出身である。生まれも育ちも愛媛の彼女が上京した理由とは――。そのひとつとして、「東京が好きで、都会に行きたい気持ちもあったので」と微笑むが、新天地で心機一転、挑戦したかった思いもあったのではないか。なぜなら高校、大学時代はケガに泣いた競技人生だったからだ。「大学3、4年生は1カ月走れたこともなかった」。大学卒業後は陸上を辞めることも考えていたほどである。

 

 進路を決めかねている松山大4年時の6月、ベアーズカメリアの監督を務める高柳祐也のスカウトによってベアーズ入社、東京行きを選んだ。

「実業団に行って陸上を続けるか、一般企業に就職して現役を辞めるか悩んでいる時に、高柳監督に声をかけていただいたのがきっかけです。私は陸上を続けるならマラソンに挑戦したかった。高柳監督も“マラソン選手を育てたい”との思いがあり、2人の目標が合致したので決めました」

 ゴールが同じというだけで共に歩むことを決めたわけではない。「監督がベアーズカメリアをつくった時の思いも聞きました」と河内。高柳の熱意が彼女の心を打ったのだ。

 

 河内が新天地に選んだベアーズカメリアは、家事代行大手のベアーズが新設した女子陸上部である。部員は同社の幹部候補の正社員として家事代行の業務に励む。選手のデュアルキャリアを支援する環境も魅力のひとつだが、家事代行という職業に対しても「料理を作るのが好き」と抵抗がなかったのも大きかったはずだ。同期の仲間たちとシェアハウスで暮らしながら、仕事と陸上を両立する日々を送っている。

 

 現在、彼女を指導する高柳は日本体育大学OBで、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の優勝メンバーだ。現役引退後はシスメックス、第一生命でコーチを務め、指導者としての経験も豊富である。野口みずき(04年アテネオリンピックマラソン金メダリスト)、田中智美(16年リオデジャネイロオリンピック女子マラソン日本代表)、上原美幸(16年リオデジャネイロオリンピック女子5000m日本代表)ら女子のトップランナーたちを見てきた高柳の目に、河内はどう映るのか。

「走りのリズムの良さは天性のものを感じます。苦しくなった時の粘り強さは並じゃなかったし、見ていて“あの子強いな”と思わせる何かがありますね」

 まだ陽の目を浴びていないものの、キラリと光る走りであるということか。

 

 負けん気の強さが持ち味

 

 加えて高柳は、河内の内なるものを評価する。

「愛媛に行って彼女をスカウトした時に競技の目標を聞きました。“マラソンでオリンピックのメダルを獲りたい”。ケガに苦しみ、まわりに強い選手もいて弱気になってもおかしくない中、ブレずに目標を掲げられるところに芯の強さを感じました。調子が良い時に強気なことを言えるのは珍しくないのですが、彼女はケガで満足に走れない状況だった。それでもストレートに自分の思いを口にできる気持ちの強さを感じました」

 

 よりイメージがしやすいように、高柳に「その芯の強さは誰と似ているか」と続けて問うた。

「私がシスメックスでコーチをしていた時、野口さんはケガで苦しみながらも、ひた向きに結果を求める姿を見てきました。その点、気持ちの強さは野口みずきさんと少し被る部分があると思います」

 だからと言って、河内が野口と同じような活躍ができるという保証はない。とはいえ、その気持ちの強さは彼女の持ち味と言っていいはずだ。

 

 本人に「ご自身の長所は?」と尋ねると、「長所でもあり、短所でもあるんですけど」と前置きし、こう答えが返ってきた。

 

「負けず嫌いなところです」

 

 その負けず嫌いが競技人生での原動力となっているのは間違いない。では、なぜ短所にもなるのかというと、「練習中、一緒に走っている選手に負けたくないとペースを上げてしまう。大学の時はそれでうまくいかなかった」からだ。強くなるための活力になる一方、時に無理がたたってケガを負ってしまうことがあったのだろう。そんな彼女にとって、ベアーズカメリアは理想的な環境と言えるかもしれない。早稲田大学スポーツ科学学術院・田口素子研究室、フィジカルトレーナー中野ジェームズ修一が最高技術責任者を務めるスポーツモチベーションに協力を仰いでいるからだ。

 

 身体づくりのスペシャリストたちによって、“未完”の長距離ランナーの覚醒が期待できる。河内が4月に入社してから半年近くが経つが、彼女の口からは「ようやく継続した練習ができている」「スタートラインが見えてきた」とポジティブな言葉が出てきている。創部3年目でのクイーンズ駅伝出場をぶち上げるベアーズカメリアにとって、河内の覚醒は必要不可欠なはず。現在は身体をつくっている段階で、本人も無理に仕上げるつもりはない。今年の目標を「12月のレースに出ること」に設定している。

 

 これが愛媛県伊予市出身の23歳、“未完”の長距離ランナーの現状だ。河内が陸上を始めたのは、本人曰く「物心がつく前から」である。ウルトラマラソンなどに挑戦している父親の影響で、気が付くと彼女も走り始めていたのだった――。

 

(第2回につづく)

 

河内彩衣琉(こうち・あいる)プロフィール>

1999年4月2日、愛媛県伊予市出身。父親の影響で物心つく前から陸上を始める。少年団には所属せず、陸上、競泳、トライアスロンの大会に出場した。トライアスロンでは2013年に日本トライアスロン連合のジュニア強化選手に選ばれ、14年には日本ジュニア選手権(U15)6位入賞という実績を残した。松山商進学後は陸上に専念。全国高校総合体育大会(インターハイ)には2年時と3年時の2度出場した。18年に入学した松山大では、ケガで苦しんだものの、2年時に19年の中国四国学生陸上競技対校選手権大会(中四国インカレ)1万mで優勝を果たした。4年間で大学駅伝の全国大会は5度出場。今年4月からベアーズに入社し、同社女子陸上部のBears Camellia(ベアーズカメリア)で、マラソンの日本代表入りを目指している。1万mの自己ベストは32分58秒50。5000mは16分17秒60。身長158cm。

 

(文/杉浦泰介、写真/ベアーズ提供)

 


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