1999年の春、愛媛県伊予市の河内家に第一子が生まれた。その名は彩衣琉(あいる)。両親が「海外でも通用する名前を」と、I willの省略形であるI'llに漢字をあてた。I'llの意は『私は○○するつもりだ』である。父・勇人の「いつも前向き、ポジティブでいてもらいたかった」という願いを込めて、名付けられた。

 

 本人曰く「すごくヤンチャだった」という幼少期。海あり山ありの自然豊かなまちで、河内はわんぱくに育った。「4月生まれということもあり、同学年の子たちと比べて、何でもソツなくこなすタイプでした。割としっかりしていたと思います」とは母・あきつの記憶だ。さらにはこんな思い出も語ってくれた。

「幼稚園の年長組の時、運動会に向けて個々にお題が出ました。彩衣琉に課せられたのは、あやとび20回でした。縄跳びはよく遊んでいましたが、あやとびはまだできなかった。練習しても3、4回。“ムチャクチャなお題を出すなぁ。こんなのできんやろ”と、私は思っていました」

 

 あやとびとは、前跳びと交差跳びを、1回ずつ交互に行う跳び方である。「練習しても3、4回」しかできなかった河内だが、挑戦を諦めなかった。父・勇人に教わりながら猛練習の日々を送る。

「夫に怒られ、励まされながら、彩衣琉も泣きながら毎日練習していました」(母・あきつ)。

 そして、運動会当日、あやとび20回に成功し、見事“宿題”をクリアしてみせたのだ。「彩衣琉の“やればできる”という姿を見た瞬間でした」と母・あきつ。座右の銘を「努力は裏切らない」とする河内らしいエピソードだ。

 

 習い事は、水泳、習字、ピアノ、英語。では、陸上とはいつ出会ったのだろうか。「物心ついた時には、父と一緒に走っていました」と本人。陸上を始める場合、一般的には地域のスポーツ少年団や陸上クラブに入るケースが多いが、河内は違った。“公務員ランナー”である父・勇人が、いわば専属コーチだったのだ。彼女が生まれた年には、しまなみスーパーマラソン、四万十川ウルトラマラソンとフルマラソンよりも長い距離に挑んだタフネスぶり。娘に求めるものも自ずと高かった。

 

 父・勇人はこう述懐する。

「本場仕込みのスパルタで育てました。4歳で自転車の補助輪を外して乗れるようになると、すぐに20kmくらいのランに、自転車で付き合わせたことも。毎日1kmのタイムトライアルを自主的にやらせることもありましたね。水泳、自転車、ランを合わせたクロストレーニングで彼女なりにまじめにコツコツ練習していました」

 

 父娘の“スパルタ練習”については、地元の愛媛新聞にも<勇人さんがひもで引っ張りながら走る>(2013年7月14日付け)と触れられている。

 当時のことを本人に訊ねると、「父と練習している様子を小学校の先生が見かけたらしく、“大丈夫?”と心配されたこともあります」と言って笑う。いつしか校内のマラソン大会では負け知らず。地域のマラソン大会、トライアスロン大会でも優勝するなどメキメキ力を付けていった。

 

 トライアスロンで開花

 

 小学生時は陸上、トライアスロン、水泳と競技を絞らなかったが、中学生になってからは水泳に熱が入った。1日10km近く泳ぐこともあった。通っていた伊予中学の近隣の学校やスイミングスクールで練習を積んだ。しかし、水泳の競技成績は「地区大会では勝てるけど、県大会では勝てないという感じでした」(本人)と、花開くことはなかった。

 

 中学で芽が出たのは、小学3年から始めたトライアスロンだった。この頃、陸上の大会に出場していないものの、ラントレーニングを怠っていたわけではない。2013年、記録会で基準のタイムを突破し、中学2年時に日本トライアスロン連合のジュニア強化指定選手(12~15歳の部)に選ばれたのである。四国からは河内ただ1人。中高生では県内初となる快挙だった。

 

 地道な努力が実を結んだ。

「小学生の時はどうしても体力が最後までもたず、ランで落ちていくことが多かったのですが、中学生になり“朝ラン”で体力をつけることができた。本人の努力はもちろんですが、先生方に恵まれて獲得できたジュニア強化指定だと思います」

 そう母・あきつが語った“朝ラン”とは、希望する生徒が参加する授業前のランニング練習のこと。4kmも走るのだが、実は登校前にも自転車トレーニングやランニングをこなしている。放課後は水泳。練習漬けの日々が彼女の日常だった。

 

 7月、岐阜で行われた日本ジュニアトライアスロン選手権(U15)では、目標である10位に入った。ジュニア強化指定選手が参加できる合宿で、同年代のトップクラスの選手たちとトレーニングを積んだ。貴重な経験が彼女の進化を促した。翌年の日本ジュニア選手権は順位を4つ上げ、6位入賞を果たしたのだ。

 

 現地に応援へ駆け付けた父・勇人は、このレースに娘の負けん気の強さを感じたという。1種目目のスイムは13位。第2集団にいた河内は前を追いかけた。父・勇人は当時をこう振り返る。

「バイクの時、通常は集団で先頭が順番に入れ替わるドラフティングレースだったにも関わらず、みんな風よけになるのが嫌なため誰も前に出なかった。娘はこれ以上先頭グループから離されたくないから、まわりをあてにせず、ずっと1人で第2集団を引っ張り、先頭集団を追いかけたために疲れてしまった。結局、バイクで19位まで落ちてしまったのですが、ランで13人も抜いて6位入賞にまでもっていったんです」

 怒涛の追い上げでランは全体5位の走り。前年よりも1分26秒タイムを縮めてフィニッシュした。

 

「結果が出るようになり、スイッチが入った」と、トライアスロンに熱中していた河内が、陸上に路線変更したのは、なぜか――。それは中学3年時に新しく赴任してきた教師との出会いがきっかけだった。

 

(第3回につづく)

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河内彩衣琉(こうち・あいる)プロフィール>

1999年4月2日、愛媛県伊予市出身。父親の影響で物心つく前から陸上を始める。少年団には所属せず、陸上、競泳、トライアスロンの大会に出場した。トライアスロンでは2013年に日本トライアスロン連合のジュニア強化選手に選ばれ、14年には日本ジュニア選手権(U15)6位入賞という実績を残した。松山商進学後は陸上に専念。全国高校総合体育大会(インターハイ)には2年時と3年時の2度出場した。18年に入学した松山大では、ケガで苦しんだものの、2年時に19年の中国四国学生陸上競技対校選手権大会(中四国インカレ)1万mで優勝を果たした。4年間で大学駅伝の全国大会は5度出場。今年4月からベアーズに入社し、同社女子陸上部のBears Camellia(ベアーズカメリア)で、マラソンの日本代表入りを目指している。1万mの自己ベストは32分58秒50。5000mは16分17秒60。身長158cm。

 

(文・写真/杉浦泰介、プロフィール写真/ベアーズ提供)

 


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