知ってはいた。体験したわけではないけれど、先輩たちから聞かされてわかったつもりになっていた。

 

 スポーツの国際大会を招致するにはカネがかかる。

 

 招致を争うライバルの中には、だいぶグレーというか、ほとんど真っ黒に近いカネの使い方をしてくるところもある。

 

 だったらそんなイベントを招致なんかしなければいい、という考え方もあるだろう。だが、わたしは日本でW杯が見たかったし、また見たいとも思っている。無観客での開催となり、思い描いていたものとはかけ離れた大会になってしまった五輪にしても、やってよかった、という思いの方が強い。

 

 6日、五輪組織委員会の高橋治之・元理事が再逮捕された。高橋元理事は容疑を否認しているというが、彼が五輪やW杯を承知する上で極めて重要な役割を果たしたことは事実らしい。

 

 我ながら愕然とするのは、一人の理事が逮捕されたというのに、組織のトップにいた人間の責任を問おうという気持ちが微塵も湧いてこなかったことである。

 

 つまり、わたしはうっすらと知っていたのだ。会長だと副会長だのといった立場に名を連ねた元アスリートの方々が、単なるお飾りにすぎなかったということを。看板は看板、実働部隊は実働部隊と自分の中で知らず知らずのうちに割り切っていたのだ。

 

 だが、看板になった方々に何ができたというのか。

 

 国際大会の招致活動は、ビジネスであり政治である。有用なのは現役時代の実績よりも、現場での経験だろう。だが、現役時代、結果を残すために極めて多くのものを競技に捧げ、かつ、そうすることこそが正しいアスリートのあり方だと風潮の強い日本で育った彼らが、ビジネスのプロ、政治のプロと渡り合えるだろうか。

 

 わたしだったらプロに任せる。丸投げする。餅は餅屋。「鎌倉殿の13人」でいうところの善児によろしく頼む。グレーな仕事、ダークな仕事は一手に引き受けてもらう。

 

 それが、高橋容疑者だったのではないか。

 

 三谷幸喜さんが描く善児は権力者にとっての使い捨ての駒にすぎなかったが、現代社会においては、巨大イベントの招致を勝ち取れる人材の存在感はどんどんと大きくなっていく。動く金額も桁外れとなれば、いろいろな人が群がっていったであろうことは容易に想像がつく。

 

 善児の任された仕事が、現代社会の常識でいえば「殺人」でしかないように、高橋元理事がかけられている容疑も、事実ならばアウトである。しかも、今回の容疑は招致にまつわるものではなく、五輪の中枢にあるという立場を利用したものとなればなおさらだ。

 

 ただ、今後は高橋元理事のような存在を許さない、とは言い切れない自分もいる。いなければ招致の可能性は低くなる。それでもいいのかとの自問がある。

 

 理想をいえば、スポーツに精通しつつ、政治やビジネスの素養も身についた方が招致に携わるようになればいい。だが、アスリートがカネや政治について発言することに強い抵抗を覚える人の多いこの国において、それは簡単なことではない。

 

 わたしは日本で五輪やW杯が見たくて、かつ、もし招致に関わっていたとしたら実働部隊にはなれないしなりたくなかった人間である。小栗旬さん扮する北条義時の言葉ではないが、善児を非難する資格は、ない。

 

<この原稿は22年9月8日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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