町田・黒田監督の言葉でJ2に新しい風吹くか
Jリーグができたから、日本のサッカーは強くなった。これはもう、全面的に正しい。ただ、Jリーグができたから、日本はW杯に出場できた、と言われてしまうと、ちょっと言葉につまる。
ご存じの通り、Jリーグが始まったのは93年の5月だった。そして、いわゆる“ドーハの悲劇”が起きたのは同じ年の10月。その間、たったの約半年。4年前にはアジアの2次予選を突破することすらできなかったチームが、W杯まであと一歩、あと数秒のところまで迫ったのは、半年間のプロ生活が最大の要因?う~ん、どうだろう。
無関係、ではない。ジーコやリトバルスキーと対戦したことで、選手はアジアのスターと対峙しても気後れすることがなくなった。韓国と聞いただけで、中東勢と聞いただけで劣勢を覚悟してしまう負け犬根性も改善された。
だが、何より大きかったのは、選手たちがW杯出場を現実的な目標として考えるようになった、ということではなかったか。
ハンス・オフトという指導者が、ずばぬけて優秀な人物だったとは思わない。ただ、就任時に彼が口にした「わたしの仕事は日本をW杯に連れて行くことです」という言葉は、日本サッカー史上に残る金言だった。
W杯に出たことのない国は、自分たちがW杯に出る、出られると信じることが難しい。だが、W杯に出たことのある国の指導者から「出られる」と言われればどうだろう。
93年のW杯予選を戦った選手の多くは、4年前の予選も経験している。だが、W杯というものに対する考え方、とらえ方が、明らかに変わっていた。どこかに「どうせ俺たちなんか」という思いを抱いたチームと、「俺たちは行ける」と考えたチーム。オフトの金言が、日本を変える引き金となったのだ。
「サッカーの世界ではすべてが可能だ。もちろん、日本を倒すことだって」
だから、23年2月27日にベトナム代表の新監督が口にした言葉は、ベトナムにとっての金言となる可能性がある。
おそらく、似たような意味の言葉は前任者の韓国人監督からも出ていたはず。ただ、それが響いているようには思えなかった。だが、トルシエの言葉となれば話は違う。日本をよく知り、W杯本大会で指揮をとった経験を持つ人物からの言葉は、相当な重みをもって選手の胸に届くだろう。もとより若年層の台頭は目ざましい国だけに、一気に殻を破ってくる可能性もある。
選手たちが監督の言葉を信じるチームは強い。言い方を変えれば、監督の仕事の多くは、いかにして自分の言葉を選手に信じさせるか、にある。どれほど素晴らしい戦術論があろうが、選手が聞く耳を持ってくれなければ宝の持ち腐れである。
なので、J2町田の黒田監督に注目している。
過去、高校の指導者からプロに転じた例はいくつかあるが、高校時代の実績を超えた例はほぼ、ない。選手たちが自分の意見を受け入れる環境に慣れてしまったことが一因ではないかとわたしは考えている。
ただ、青森山田監督時代の黒田監督が見せたサッカーは、掛け値なしに素晴らしかった。あのサッカーをやるための指導を選手が受け入れれば、J2には新しい風が吹く。指導者にも新たな道が開かれる。2節が終わった段階では、まだ町田と青森山田の共通項はあまり感じられないが、これからどうなっていくか。個人的には、今季一番注目しているチームである。
<この原稿は23年2月23日付「スポーツニッポン」に掲載されています>