W杯並み熱気が米国をWBCに引き寄せた
サッカーは英国人が産み出した。W杯はフランス人が考えた。第1回のW杯に英国人は見向きもしなかった。彼らにとっては他国人がつくった世界一決定戦より、英国4協会で争うブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ(BHC)の方が重要だった。世界一より、英国一になる方が大切だった。
W杯を開催する側からすると、母国とされる国が自分たちの大会に参加してくれないのはいささか具合が悪い。そのため、戦後初のW杯となった50年大会から、FIFAは特例でBHCの優勝国と2位の国に、W杯本大会への出場権を与える決定を下した。
ところが、2位で出場権を獲得したスコットランドは「我々は英国王者ではない」との理由で、W杯出場を棄権してしまう。後に本大会に8度出場しながら、英国4協会の中で唯一1次リーグを突破できていないスコットランドの悲運は、この棄権で大会の女神から嫌われたせいかも、というのはわたしの個人的な感想。
ただ、スコットランド人の気持ちもわからないではない。
もし日本の隣国が大相撲の世界大会を企画したとする。日本人はホイホイとそこに乗っかれるだろうか。賜杯より世界一の方が重い、と本気で思えるだろうか。
なので、日本ほどにはWBCに熱くならない米国人の反応が、わたしにはいたって真っ当なものに思えていた。国内王者決定戦を“ワールドシリーズ”と呼ぶ彼らにとって、WBCで争われる世界一の称号はずいぶんと軽い。主立ったメジャーリーガーが参加しなかったのも、米国内での関心が期待されたほどには高まらなかったのも、当然といえば当然だった。
だが、世界中の熱気がついに英国4協会をW杯に引き寄せたように、今回のWBCの米国は過去とは違った意気込みで大会に臨んでいると聞く。
初期のW杯を冷淡に眺めていたのが英国勢だとしたら、初期のトヨタカップは欧州勢全般から軽視されていた。ガチの南米と物見遊山気分を捨てきれない欧州。第1回大会から5回連続で南米が優勝したのも無理はない。
そうした流れを大きく変えたのが、第6回大会を制したユベントスだった。
当時のセリエAは誰もが認める世界最強リーグ。その最強リーグの最強チームが本気でトヨタカップを獲りにいったことで、欧州勢の大会に向ける眼差しは変わった。端的にいえば、ユーベの本気が大会を変えたのである。南米の5勝0敗だった対戦成績は、以後、7勝13敗と様相を一変させた。
今回、米国がかつてないほどWBCに前のめりになっている理由の一つには、昨年のW杯が関係しているという意見がある。国内王者=世界一という価値観に、少しではあるがヒビが入った、というのだ。
ただ、過去のWBCが著しく盛り上がりにかけていたならば、米国の本気は違う方向に向いていたかもしれない。そういう意味では、米国不在に近い状況の中、国を挙げて大会に取り組んだ日本の功績は小さくない。
ただ、わたしの知る限り、Jリーグでは評論家が開幕前に最下位を予想したチームが優勝したことは一度もないが、プロ野球ではままあること。つまり、野球の未来は、サッカーよりも見えにくい。番狂わせの危険は、そこかしこに潜んでいる。
というわけで、米国の本気を警戒しつつ、格下に足をすくわれたりしないよう、祈るような気持ちで開幕を待つわたしである。
<この原稿は23年3月9日付「スポーツニッポン」に掲載されています>