第1回のWBCに勝った。第2回大会では連覇をなし遂げた。では、どれだけの日本人が、あるいいは米国人が思っただろうか。

 

 日本の野球は世界一。

 

 わたしには思えなかった。

 

 理不尽な判定や、スポーツに政治を持ち込む暴挙には憤慨もした。だからこそ、勝利の瞬間には興奮もし、感動もしたが、しかし、これで日本の野球が世界一だとは思えなかった。

 

 本気の米国を倒したわけではなかったから。

 

 今回の優勝は違う。日本ほどの国民的関心事ではなかったようだが、それでも、出場した米国の選手たちは間違いなくこの大会に懸けていた。事情が許す限り最高のメンバーを揃えていたとも聞く。

 

 そんな野球の宗主国を、日本は倒した。敵地で凱歌をあげた。米国人は、見たことがないほど感情をむき出しにする大谷の姿を目撃した。自分たちが醒めた目で眺めてきた大会に、大谷がどれほどの情熱を注いできたかを目の当たりにした。

 

 これで、WBCに対する米国人の考え方は変わる。変わり始めてきた流れが、一気に加速する。

 

 野球界の生ける伝説とありつつある男が、普段とは明らかに違う姿勢で戦った大会を、彼らはもう無視できない。3年後の次回大会、彼らは国を挙げて王座奪還に乗り出してくるだろう。初期のW杯を完全に黙殺し、その後もしばらく冷笑気味に眺めていた英国4協会が、やがて目の色を変えたように、である。

 

 54年のW杯で西ドイツが勝ったことで、英国4協会はW杯への見方を変えた。南米が勝とうが、イタリアが勝とうが我関せずでいられた英国人も、第2次世界大戦で激闘を繰り広げた国の栄冠は無視できなかった。南米勢ばかりが熱くなっていたトヨタカップが変わったのは、ユベントスとプラティニの本気がきっかけだった。今後、WBCが野球文化圏にとって頂点の大会になっていくとしたら、この第5回大会がターニングポイントだったと振り返られることになるだろう。

 

 それにしても、凄いものをみせてもらった。

 

 考えてみれば、これはわたしにとっても初めての経験だった。国民的な人気を誇る競技が、国民の期待を一身に背負って世界大会に赴き、そこで優勝する。五輪における柔道ではまあまあある図式だが、男子の団体競技、特に球技ではまずあることではなかった。これはもう、とてつもない快挙である。

 

 一つ、謎も解けた。

 

 最終的に“神”と肩を並べることが許されたとはいえ、アルゼンチンにおけるメッシは、なかなかファンから愛されない存在だった。理由は、「バルセロナで育ったから」。衝撃、わたしには理解しにくい理由だった。

 

 いまなら、わかる気がする。

 

 想像してみる。11年前のドラフトで、日本ハムと栗山監督が強行指名をせず、大谷が当時の本人が希望していた通り、直接米国に渡っていたとしたら。

 

 わたしは、こんなにも無我夢中になって彼を応援できただろうか。どこかで、日本球界を袖にしたオトコ、との引っ掛かりを覚えていなかっただろうか。

 

 サッカーでも野球でも、国内リーグを経由しない海外移籍を模索する動きが加速している。気持ちはわかる。ただ、JリーグもNPBも、そんな才能を惹きつける魅力を磨き続けてほしい。今回のWBC優勝でわたしが痛感したこと、それは国内リーグの重要性である。

 

<この原稿は23年3月23日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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