世界のサッカー界の生き字引から、もしこんなことを言われてしまったら。

 

「日本のあの選手は、ペレにも比肩しうる」

 

 ペレ、がピンとこない方は、クリロナだろうがメッシだろうがエムバペだろうが、好きな人物に置き換えていただいて構わない。とにかく、日本の選手が、世界の伝説的名手と並びうる存在だと言われたとする。

 

 20年前のわたしだったら。半信半疑と狂喜乱舞。何が何だかわからん状態に陥っていたかもしれない。とにかく、日本の才能が世界に認められた喜びを満喫していたことだろう。

 

 なのに、23年年末のわたしは、ボクシング界の生き字引が口にした「井上はアリやレナード、ハグラーやパッキャオに匹敵する存在」という言葉を、平然と受け止めた。我が内なる感受性は、完全に以前とは違ったものになってしまっている。

 

 第三者、特に外国人からの評価を気にしたがる傾向は、以前はわたしの中にも強くあった。ゆえに、磯貝の才能についてジーコに聞き、中田の将来についてドゥンガに問うた。聞いて怪訝な顔をされた。

 

 なぜ私は聞かずにいられなかったのか。自分自身の目に対する自信がなかったから、だった。

 

 怪訝な顔をされた理由もいまいまならわかる。選手の将来なんぞわかるわけがない、からだ。選手が才能だけで行けるところなど、たかが知れている。どれほど才能に恵まれようが、何の花を咲かすことなく消えていった選手を、彼らはごまんと見てきている。すでに完成した選手について聞くならばともかく、まだ何もなし遂げていない選手について“お墨付き”をもらいにいくのは、いまから思えば何とも卑屈で愚かな行為だった。

 

 だが、井上尚弥は、すでに多くのことを成しとげている。ボブ・アラムに言われるまでもなく、日本ボクシング史上はもちろんのこと、世界的に見ても怪物的な存在だという認識も、確実に広まっている。伝説的プロモーターの言葉が、さしてニュースになることなく消えつつあるのは、当然の帰結でもある。

 

 ただ、わたしの中で何よりも大きかったのは、大谷翔平の存在かもしれない。

 

 20年前、こんな未来を予想する友人がいたとする。

「メジャーでホームラン王を獲るばかりか、投手としても2桁勝利を挙げ、1000億円を超える契約を結ぶ長躯で容姿端麗な日本人が出現する。その選手は日本中の小学校にグラブを寄付し、週刊文春といえどもスキを見つけられない」

 

 アホか、の一言でわたしだったら一笑に付す。そんな日本人、というかアスリート、出現するはずがない。そう断言している。

 

 飛び抜けた存在の選手が、同世代の競争相手だけでなく、伝説の名選手と比較されることはままある。ただ、どんなスポーツであっても、伝説との比較においては評価が分かれるのが常識だった。ところが、もはやベーブ・ルースですら比較対象ではないとされる野球選手が、23年現在の地球上にはいて、それは、日本人なのであある。

 

 大谷が出現したことで、わたしは少々のことでは驚かない人間になった。井上の活躍や、敵地でドイツを倒した日本代表の躍進が、その傾向に拍車をかけた。

 

 そして、これからは勝利や躍進に驚かないメンタリティーが、日本人の標準となる。いつから日本のスポーツはそんなに強くなったのか。そう聞かれる時が来たら、わたしはきっと、23年という年をきっかけの一つとして思い浮かべることになる。

 

<この原稿は23年12月28日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>


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