「こんにちは」
 そう声をかけられて振り返ると、196センチの長身の学生がいた。顔を上げなければ、目線が合わないほどの高さだ。だが、並んで歩いていても威圧感は微塵も感じられなかった。
「(大学の)HPでの写真よりも髪の毛が短くなっていますね。最近、切られたんですか?」
 そう声をかけると、彼は「はい、切りました」と照れたように笑った。優しい目が印象的だった。
 中央大学2年、長山拓未。彼は高知バレーボール界きっての期待の星である。
 長山の故郷、高知県のバレーボールの現状は、決して明るいものではない。財団法人全国高等学校体育連盟の「平成19年度加盟登録状況」によれば、高知県内で男子バレーボール部のある学校は15校、部員数は148名。これは47都道府県の中で最も少ない数字である。全国高等学校バレーボール選抜優勝大会、通称「春高バレー」での成績を見ても、男子は2004年まで未勝利に終わっていた。さらに、国内トップリーグのV・プレミアリーグには、未だ高知県出身者は出ていない。

 そんな中、高知県出身者として初のV選手の座を狙っているのが、長山である。大学バレーボール界でトップクラスを誇る中央大で、2年生ながら既に主力メンバーとして活躍している彼に、周囲の期待も高まる一方だ。

 身長191センチの父と168センチの母の間に生まれた長山は、幼少の頃から他の子どもよりもひとまわりもふたまわりも、身体が大きかった。その分力も強く、時には友達を突き飛ばしてしまうこともあったという。
「本人は特に力を入れたわけでも、悪気があったわけでもないんです。でも、拓未のちょっとの力は、他の子にとってはものすごい力だったんでしょうね。コツンと突いただけだったのに、結果的には突き飛ばしてしまったりすることもしばしばでした」

 やんちゃ盛りの長山は、よくケガも負ったという。
「はしゃいで走り回っていたら、ピアノに頭をゴツン……。それで、眉間の部分を3針縫いました。そうそう、どこかに顔をぶつけて唇の裏を切ってしまったこともありましたよ」
 当時のことを思い出したのか、電話口の向こうで父親はそう言って笑った。

 そんな長山がバレーボールと出合ったのは、小学1年の時だった。地元のスポーツ少年団でバレーをやっていた2歳年上の姉について体育館で遊んでいた長山を、当時の監督が声をかけたのだという。「面白そうだな」。そんな軽い気持ちでチームに入った。

 実は、長山家は柔道、相撲などの格闘技一家。父親は高校時代、相撲で全国大会出場経験をもち、父親の弟である叔父は同じく相撲でインターハイ優勝(団体)をしている。当然、父親は息子にも相撲をやらせたいという思いがあった。知人の教える稽古場に連れていき、「どうだ、相撲やってみないか?」と何気に聞いてみたこともある。「相撲なら一緒にできるし、教えてあげられる」。そんな親心からだった。

 だが、長山は迷わずバレーを選んだ。最初は遊び半分だったが、2年、3年となるにつれてゲームが増えてくると、負けず嫌いな性格が顔を出し、どんどんのめりこんでいったのだ。

 運も味方していた。長山の学年は6人とギリギリの人数ながら、県内では敵なし。小学6年で既に175センチあった長山擁する初月ジュニアバレーボールクラブは、県大会を勝ち抜いて初の全国大会へとコマを進めた。それは、2回戦、準々決勝、決勝と3試合行ない、落としたのはわずか1セットと無類の強さを誇っての優勝だった。

 初めて全日本バレーボール小学生大会に出場し長山たちは、意気揚々と晴れの舞台に臨んだ。しかし、全国の壁はあまりにも厚かった。決勝トーナメントをかけて挑んだ予選リーグ、初月は4試合で1セットしか奪うことができなかった。

「自分たちよりも強い選手がこんなにいるんだ……」
 長山は、全国レベルの高さを肌で嫌というほど味わった。だが、彼の心は折れてはいなかった。
「強くなりたい」。長山の負けず嫌いは本物だった。

(第2回につづく)

長山拓未(ながやま・たくみ) プロフィール>
1988年5月17日生まれ。高知県出身。中央大学法学部2年。格闘技一家に生まれるも、2歳年上の姉の影響で小学生からバレーを始める。高知中、高知高では入学直後からレギュラー入りを果たす。高校3年間でインターハイ3度、春高3度出場し、2年時には全国初勝利を挙げる。現在は中央大男子バレーボール部に所属し、レギュラーとして活躍している。得意のプレーはクイック。ポジションはセンターだが、中学、高校時代にはサイドアタッカーの経験もあることから、バックアタックも打つ。196センチ、85キロ。最高到達点335センチ。






(斎藤寿子)
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