五頭寛大(東京グレートベアーズ/愛媛県松山市出身)第3回「スタンドから見た“日本一”」

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 2019年春、五頭寛大(ごとう・かんだい)は生まれ育った愛媛県を離れ、「日本一」を目指して京都の東山高校に進学した。多くの運動部が全国レベルの同校はバレーボール部も強豪として知られている。

 

 五頭は愛媛県松山市立雄新中学校で全国大会に出場したものの、一度も日本一に届かなかった。それでも彼には東山の豊田充浩監督(現・総監督)から声がかかった。

「豊田先生は熱い方です。『日本一を狙うなら来てくれ』と誘ってくれました。監督がこれだけ言うってことは、うまくなれる環境があるのだと感じました」

 

 日本一を目指すための練習は、並大抵のことではなかった。「中学校のレベルとは全然違った。バレーボールスタイルも違っていたので、最初は苦労しました」と五頭。当然、練習の量も質も中学時代とは比べものにならない。練習中の空気も“ミスを許さない”ような張り詰めた緊張感が漂っていた。

 

 当時を振り返って「エライところに来てしまったな、と感じましたか?」と聞くと、五頭は「そう思いました」と素直に答えた。

「愛媛に帰りたいという気持ちは少しありました。でも、自分で決めた進学先。“ここで帰るわけにはいかない”“ここで負けたくない”と思いました」

 

 強豪校でレギュラーを張るのは、容易いことではない。五頭のポジションは主にセッター、リベロ。入学当初にリベロ転向を決めていたが、チーム事情もありセッターと“兼業”することとなった。本人によれば約2年は「ほぼセッター」でプレー。しかし1学年先輩の中島健斗(現・SV.LEAGUEのVC長野トライデンツ)からポジションを奪うことはできなかった。

 

 1学年上には、のちにパリオリンピック日本代表となる髙橋藍(現・SV.LEAGUEのサントリーサンバーズ大阪)がエースとして君臨していた。「負けるところが想像できなかった」と五頭。この年の東山は全国高校総合体育大会(インターハイ)でベスト4、国民体育大会(国体)で優勝。全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)でも優勝を収めた。春高バレーでは1回戦から決勝までの6試合全てストレート勝ち、失ったセットはひとつもないという完全優勝だった。

 

 東山の初優勝となった春高バレー。五頭は選手登録をされたものの、ベンチ入りはできず、コートに立つことはなかった。決勝はスタンドでの応援に回り、チームメイトが歓喜に沸く姿を見つめた。

「悔しい気持ちが一番大きかったです。同じチームでもコートで活躍するのと、応援で活躍するでは違う」

 気持ち半分で、仲間たちを応援していたわけではない。試合に出たい――。それは選手として純然たる欲求であり、五頭のプライドでもあるのだろう。

 

まさかの棄権

 

 五頭が東山で主力となったのは正式にリベロに転向した新チーム始動時からだ。リベロはチームの守護神的存在。得意のレシーブをもっと磨かなければならないと、全体練習後も“居残り”研鑽を積んだ。

「サーブを打ってもらい、レセプション(サーブレシーブ)の練習をひたすら重ねていました」

 

 しかし研いだ爪を披露する場がなかった。この時期、日本では未知のウィルスが猛威を振るっていた。東京で開催を予定していたオリンピック・パラリンピックは1年延期。多くのスポーツ大会が中止、延期を余儀なくされた。高校バレーもその例に漏れず、インターハイは中止。国民体育大会は延期となった。

 

 唯一開催された高校3大タイトルの春高バレーは無観客での実施となった。場所は東京体育館。東京オリンピックに向けた3回目の改修工事を終え、3年ぶりに“聖地”へ帰還となった。

 

 東山は初戦(2回戦)、東海大相模(神奈川)をストレートで破り、連覇に向けて好スタートを切った。

 

 ところが翌日、まさかの事態に見舞われる。3回戦の高松工芸(香川)戦を前にウォーミングアップをしていると、大会実行委員会から試合ができないと通達される。前日の夜に東山の選手に発熱者が出たためで、棄権を余儀なくされたのだった。突然の宣告に「“ウソだろ”と思いました。それに“絶対できる”とも」と五頭。彼は泣き崩れた。

 

 選手、関係者にとって到底受け入れられるものではないが、この決定を覆すことは誰にもできなかった。この瞬間、東山の春高連覇の夢が潰えると共に、五頭たち3年生にとって最後の春が幕を閉じた。

 

「少しバレーボールから離れたいとさえ、思った」

 彼らが受けたショックの大きさは計り知れない。負けずしてコートを去らざるを得ない状況。そんな中、救いの手を差し伸べる者もいた。

 

 失意の春高バレーから2カ月後、V.LEAGUE(SV.LEAGUEの前身)のサントリーサンバーズ(現・サントリーサンバーズ大阪)の計らいにより、五頭たちの“引退試合”が執り行われることとなったのだ。V.LEAGUEの前座として行われたエキシビションマッチで、春高バレー4強の市立尼崎と対戦した。2日目は関係者に発熱が出たため中止となったが、「あの時以上にやってやろうという気持ちが出た大会でした」と五頭ら東山の選手たちは奮起し、2対1で勝利を収めた。

 

 東山高校を卒業した五頭は2021年4月、びわこ成蹊スポーツ大学に進む。彼がプロバレーボール選手になるまで、あと2年4カ月――。

 

 

(最終回につづく)
>>第1回はこちら

>>第2回はこちら

 

(©TOKYO GREAT BEARS)

五頭寛大(ごとう・かんだい)プロフィール>

2003年1月25日、愛媛県松山市出身。ポジションはリベロ。小学2年時に潮見スポーツ少年団で本格的にバレーボールを始める。同少年団、雄新中学で全国大会出場を経験。バレーボールの強豪・東山高校を経て、21年にびわこ成蹊スポーツ大学に入学した。大学3年時にV.LEAGUE(当時)のディビジョン1の東京グレートベアーズに入団。1季目から36試合中23試合に出場した。身長180cm。最高到達点310cm、指高230cm。右利き。背番号28。

 

(文/杉浦泰介)

 

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