五頭寛大(東京グレートベアーズ/愛媛県松山市出身)最終回「笑顔の先に見える夢」

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「初めて見たのは高校2年生の時。“上手なセッターがいるなぁ。こういう子が来てくれたらウチも強くなるかなぁ”と思っていました」

 そう五頭寛大(ごとう・かんだい)について語るのは、びわこ成蹊スポーツ大学バレーボール部監督の竹川智樹だ。東山高校監督(当時)の豊田充浩から紹介された。しばらくすると“上手なセッター”はリベロになっていた。

 

 それでも竹川の気持ちは変わらなかった。五頭がびわこ成蹊スポーツ大の練習に参加した際には、大学の食堂で話をした。

「一緒に学食で鰻丼を食べたことを覚えています。その時から高い意識と目標を持っていました。話していてもきちんと受け答えもできる子で、人間性も素晴らしいという印象でした」

 

 竹川は五頭について「誰からのアドバイスも受け止め、一度、自分で噛み砕いてから判断できる」と言い、こう続ける。

「1年生の時からリーダーシップが取れていましたね。上級生にも臆することなく話ができていた。技術的にも申し分ない。サーブレシーブに関しては、レギュラーの子たちが彼にリベロの座を譲ってしまうほどの実力を持っていました」

 

 すぐにレギュラーの座を掴んだ五頭は、秋のリーグ戦(春は中止)に出場した。チームは2部降格の憂き目に遭ったが、翌年の春に五頭は2部でベストリベロ賞とサーブレシーブ賞の個人賞2冠に輝いた。

 

 そして、この年の6月、プロ入りをひとつの目標としていた五頭に願ってもいないチャンスが舞い込んでくる。V.LEAGUEのV1(現・大同生命SV.LEAGUE)の東京グレートベアーズ(東京GB)がリベロを対象としたトライアウトを行うという情報を手にしたのだ。

 

 チームメイトや監督の竹川から背中を押された五頭は、在学中のプロ入りを決断するのだが、当時、チームは関西大学リーグ1部昇格を目指していた。監督の竹川は、五頭が2年生の時からV.LEAGUE関係者に「一度見に来てください」とアピールしていたとはいえ、主力の流出は痛手であったはずだ。

 

高かったプロの壁

 

 竹川がその時のことをこう振り返る。

「彼には大学でバレーボールの授業を手伝ってもらっていたので、その時に東京グレートベアーズさんのリベロを対象にしたトライアウトの話になったんです。私は『(応募書類を)出しなさい。すぐ行かないといけない』と勧めました。チームの主力が抜けるということよりも彼の将来を考えた。もちろん高いレベルを経験することがチームの成長にも繋がると思いましたから」

 

 晴れてトライアウトに合格した五頭は2023年8月、東京GBと契約を結んだ。公式戦デビューは10月23日のヴォレアス北海道戦だ。3対0のストレート勝ちを収めた試合で、3セットいずれも途中出場というかたちでコートに立った。

「試合前日までは緊張しました。試合が始まるにつれ、ドキドキがワクワクに変わっていきました。この舞台に立てることが、うれしかった。ただ練習と試合は全然違って、思い通りのプレーはできなかったと思います」

 

 満点のデビューではなかったかもしれない。コーチの橘裕也からは「リベロとしてもっとできることがあるはずやから」と言われた。23-24シーズン、同じリベロには古賀太一郎がおり、彼の座を脅かすことはできなかったものの、1季目から36試合中23試合に出場した。

 

 コーチの橘は、五頭のルーキーシーズンをこう振り返った。

「レシーバーとしての出場が多かったが、はじめの頃は少し緊張が見られ、エースを取られる場面もあった。しかし、リーグ終盤にはビッグサーバーに対してもエースを取られることが減り、緊迫した場面でも堂々とコートに立っているように感じました」

 

 プロの壁は高かった――。五頭本人は「自分が思い描いていたよりも遥かにレベルが高かった」と口にする。

「外国籍選手の高さ、速さ、パワーはすごいと感じました。練習でチームメイトの柳田(将洋)さんはサーブを受けていても、威力が半端ない。入ったばかりの頃、パイプ(センターからのバックアタック)を受けて、吹っ飛ばされたことがあります。正面に入っても止めることができなかったこともありました」

 

“守備の司令塔”

 

 同じポジションの古賀は練習や試合を見ていても、スパイクを受けて吹っ飛ばされることや正面に入りながら止めきれないことは「ほとんどなかった」(五頭)という。

「このボールを止められるようにならないといけない。まだ身体もできていなかったので、“ウエイトトレーニングをしっかりやらなきゃ”と思いました」

 

 元日本代表で海外クラブでもプレーした経験のある古賀は、まさに“生きた教材”だ。

「古賀さんからはキャプテンとしてのリーダーシップ、リベロとしての役割を教わりました。技術面で言えばチームで一番のディフェンス力を持ち、サーブレシーブは一番安定している。チームを支え、うまく動かしていました」

 

 その点はコーチの橘も「自身のスキルアップに加え、(特にディフェンス時やサーブレシーブ時における)コート上でのコーディネート力を上げなくてはいけない」と指摘する。守備職人のイメージがあるリベロ。守護神とも称されるポジションだが、ブロッカーの配置を含め、細かい守備陣形を指示する役割がある。ある意味においては、“守備の司令塔”という側面もあるのだろう。

 

 プロとして1シーズン過ごし、24年春はびわこ成蹊スポーツ大に戻り、関西大学リーグ1部を戦った。夏に東京GBと再契約。チームには既に合流し、秋に開幕するSV.LEGUEに向けて日々研鑽を積んでいる。プロ2季目については「今シーズンは昨シーズン以上の活躍をすることが直近における個人の目標です。将来的には日本を代表する選手となり、古賀さんを超えるリベロになることが目標です」と意気込む。

 

 好きな言葉は「なんとかなる」。そのポジティブな空気感は、五頭のキャラクターに通じるものがある。東山高校時代、同校がTV番組に特集された際、ムードメーカーとして紹介された五頭は「自分の魅力は笑顔かな、と思っている」と答えていた。

「(笑顔は)自然と出てくるものですが、チームを鼓舞するきっかけにもなり得る。なるべく笑顔でいたいと思っています」

 東京GBチームメイトの後藤陸翔もコート外での五頭を「明るくて、おもしろキャラです」と評している。

 

 彼の笑顔には、“なんとかなる”と人を安心させる力があるようにも思う。だが五頭の仕事はムードメーカーだけではない。自らのプレーで、チームに“なんとかなる”と信じさせる――。それを証明するシーズンが2024年の秋、幕を開ける。

 

(おわり)
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(©TOKYO GREAT BEARS)

五頭寛大(ごとう・かんだい)プロフィール>

2003年1月25日、愛媛県松山市出身。ポジションはリベロ。小学2年時に潮見スポーツ少年団で本格的にバレーボールを始める。同少年団、雄新中学で全国大会出場を経験。バレーボールの強豪・東山高校を経て、21年にびわこ成蹊スポーツ大学に入学した。大学3年時にV.LEAGUE(当時)のディビジョン1の東京グレートベアーズに入団。1季目から36試合中23試合に出場した。身長180cm。最高到達点310cm、指高230cm。右利き。背番号28。

 

(文/杉浦泰介)

 

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