マニュエルの運転する車は「ラ・モッソン」に近づいていた。
 ラ・モッソンは、モンペリエの郊外にある、近代的なスタジアムである。廣山望がプレーしていたモンペリエが本拠地として使っていた。三万人超を収容し、98年のフランスワールドカップの時にも使用された。
 ラ・モッソンの隣に人工芝のグラウンドがあった。そこが僕たちの試合会場だった。

(写真:モンペリエの本拠地、ラ・モッソン)
「いつも、ここでやっているの?」
 マニュエルに尋ねると、頷いた。
「たまにね。モンペリエには沢山グラウンドがあるから、色んなところを使うよ。この人工芝はいいだろう」
 照明に照らされた人工芝は青々としていた。この時、日本ではあまり普及していなかった、本物の芝に近づけた、毛足の長い人工芝だった。
「日本ではグラウンドを確保するのが難しい。なかなかサッカーができる場所がないんだ」
 僕の言葉に、マニュエルは首を傾げた。公営のグラウンドはずいぶん前から申し込み、抽選で当たらないと使用できないと説明すると、信じられないという表情になった。
「ここでは、やりたい時にやれるよ」
 グラウンドに面したクラブハウスに集まって、ユニフォームが配られた。マニュエルが僕のことをみんなに紹介してくれた。チームの名前は「モンペリエ・スポーツクラブ」と言った。
 マニュエルが現役だった時の仲間が中心になっているので、40代半ばから後半の人間が多いようだった。
 マニュエルが、番号を見ながらユニフォームを手渡していった。10番はマニュエル、六番は会長のシャール、などと幾つかの番号はいつも決まっているようだった。僕は控えの番号である19番が回ってきた。
 部屋の真ん中には、ビニール袋があり、そこから各自、パンツとソックスを取り出した。日本の草サッカーチームと違って、ユニフォームは全てチームが管理していた。
 会長のシャールが僕に尋ねた。
「お前はどこのポジションをやるんだ」
「フォワードだ」
 すると彼は意外そうな顔になった。
「わかった。今日はフォワードが沢山いるから、途中交代だ。ポジションは分からない」
 システムは、4−4−2。日本で言うところのトップ下、セントラルミッドフィールダーを置かないシステムだった。



 試合が始まると、やはりフランスのサッカーだった。
 フランスのサッカーといえば、ミッシェル・プラティニの時代のシャンパンサッカーなど華麗な技術を思い浮かべるかもしれない。しかし、フランスリーグを見た僕の印象は違っていた。
 日本では映画やワインなど文化的で知的な印象があるが、フランス人というのは、いい意味で「野蛮」だと僕は思っている。
 フランスリーグでは、大型の選手が激しく身体をぶつけ合ってボールを奪い合う。フランスの代表的な選手であるジネディーヌ・ジダンは、確かに素晴らしい足技を持っているが、彼は180センチを軽く越える大きな身体を持っていることを忘れてはならない。
 肉弾戦という基本の中で、ブラジル人など技術のある選手が、変化を加えるので、見ていて面白いサッカーになるのだ。
(写真:マニュエルの息子の試合を見に行ったこともあったが、やはり「フランス」のサッカーだった)

 もっとも、同じような肉弾戦のサッカーを志向するイングランドやスペインと比べると、フランスのサッカーは中盤で細かくボールを繋ぐ傾向がある。
 モンペリエ・スポーツクラブもまた、中盤で丁寧にボールを繋いでいた。両チームとも選手の年齢が高いため、スピードはなかったが、キックは正確だった。中盤でボールを持ち、サイドから、クロスボールを入れる。フォワードは前線で身体を張って競らなければならない。
 試合を見ていると、シャールが僕を見て、首を傾げた理由がわかった。
 ドリブルを得意とするマニュエルは別として、もう一人のフォワードは185センチほどあり、分厚い胸板をしていた。ベンチにいたもう一人のフォワードの選手も同じような体型だった。僕の178センチの身長は日本では小さくないが、このチームの中では小さい。骨格を考えれば、かなり華奢な部類に入る。



 ベンチで試合を見ていると、褐色の肌をした、大きな目の男が遅れて現れた。
 メンバーの一人が僕のことを紹介すると、男は僕の手を握った。
「ドリスっていうんだ。フランスの他に英語とドイツ語が話せる。宜しく」
 ベンチに座りながら、英語で話すと、ドリスは大した経歴の選手だったことがわかった。
 両親はモロッコ移民。モンペリエで生まれ、地元モンペリエの下部組織で育った。その当時、マニュエルから教わったことがあったという。
 隣町のニーム・オリンピック(通称ニモリンピック)を経て、ドイツやオランダでプレーしている。90年から92年はドイツの名門クラブである、ボルシア・メルヘングランドバッハに所属し、背番号9をつけていた。
(写真:ドリスはモロッコの年齢別の代表にも入ったことがあった)

 年齢の高いチームに良くあることだが、前半途中で二人が怪我で退場、ドリスがピッチの中に入った。
 ドリスは、遠くから見ても、ボールタッチがブラジル人のように柔らかかった。ドリブルの上手いドリスが入ったことで、中盤のタメができた。圧倒的に、スポーツクラブは試合を支配するようになった。
 しかし、得点が入らない。
 サッカーをベンチで見ている程つまらないものはない。
 自分が入れば、点が取れる。僕はそう思って、身体を温めるためダッシュを繰り返した。
 前半が終わり、マニュエルとシャールが話をしながら戻って来ると、僕を呼んだ。
「後半あたまから行くから」
「ポジションは? どこを守ればいいんだ、マニュ?」
「後ろだ。右サイドバック」
 がっかりだった。

(Vol.3へ続く)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入る。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。08年3月11日に待望の新刊本『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)が発売された。




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