東京大学から5人目のプロ野球選手として、横浜ベイスターズに入団した松家卓弘だが、ルーキーイヤーに1軍に登録されたものの、登板機会は巡ってこなかった。そして2年目以降はファームでの生活が続いてしまう。高校卒業時には通用しないと思ったプロの世界。東京六大学を経てドラフト9巡目で指名を受けたが、プロ入団後もなかなかチャンスをつかむことはできなかった。
 プロ5年目でプロ初登板を迎えた松家は、それまでマウンドに立てなかった理由をこう分析している。

「プロに入って以降、色々な場面で“必ず抑えなければいけない”と自分を追い込みすぎていました。ファームとはいえ、勝ち負けのかかる場面での登板はプレッシャーがかかります。そこで、バッターにボールを投げて、打たれることが怖いと思っていました。

 また、アマチュアの時はチームが勝てば、自分のことはどうでもよかった。しかし、プロに入ってから、自分の中で個人を意識するようになったんです。それが自分にとってはあまりプラスにならなかったのかもしれません。自分自身の成績を気にしすぎてしまい、気持ちの浮き沈みが激しく、安定したピッチングができませんでした。入団したばかりの頃を振り返ってみても、1軍に上がりたいという想いが強すぎて、気持ちだけがカラ回りしていたように思います」

 5年目で顕れた精神的成長

 様々な場面で登板してきたが、その都度、精神的な弱さが顔を出し、相手に痛打されることが多かった。テクニックの部分よりもメンタル面で負けていた。

「ファームでの登板しかなく、プロ生活も4年が過ぎた時、これでプロ野球選手としては終わりかなと思いました。3年間も結果を出せずに終わってしまいましたから、シーズンオフには“もうクビかな”と。しかし、そんな僕に対して球団は今年もチャンスをくれた。本当にありがたかった。そこからピッチングに対する考え方が変わりました。とにかく後悔が残らないようにしよう、と。自分で精一杯の1年を過ごすと心に決めました。そう考えるとおかしなもので、昨年まできつかったことが今年は全然きつく感じないんです(笑)」

 09年シーズンはこれまでと全く違う想いで開幕を迎えていた。いい意味で開き直ることができ、気持ちに余裕が出ていた。

「今年はピンチでマウンドに立った時にも、自分の力を100%出せばいい。それで打たれたら仕方がないと思って投げています。今ある力を出し切ることに集中していますね。自分の中での割り切り方ができるようになってきた。これが今までとは変わりました。技術的な部分ではあまり大きくは変わっていないように思います」

「気持ちを楽に構えて自分をどれだけ出せるかということをテーマにやっています。たとえば、ピッチングの調子が悪いときでも、どうすればチームの勝ちに貢献できるかということを考えるんです。そうすることで、自ずと自分のやるべきことが見えてくるんですよね。昨シーズンまでのような迷いが消えましたし、目の前のことに集中できるようになりました」

 監督交代で巡ってきたチャンス

 松家が意識改革に成功した頃、1軍である横浜ベイスターズは大苦戦を強いられていた。開幕から波に乗ることが出来ず黒星を重ね、5月18日には大矢明彦監督が球団から休養を命ぜられる。これは事実上の解任だ。13勝24敗、借金11で首位・巨人とは13ゲームの差をつけられては仕方ない結果といえよう。

 故障者が続出するチームを引き継いだのは田代富雄監督代行だ。田代は2007年から湘南シーレックスを監督として率いており、松家のことを見続けてきた人物である。田代に委ねられたチーム建て直し、彼の目は当然のことのようにシーレックスへと向けられた。

 田代の監督代行就任によって、チームが調子を取り戻しかけてきた6月6日。松家は2軍マネージャーから声をかけられた。「明日から1軍だから」と短い言葉で昇格を伝えられ、用具類の準備やチームへの合流日程を指示された。ここ3、4年着る機会がなかった横浜ベイスターズのユニフォームに袖を通す瞬間がやってきた。

 ベイスターズのユニフォームを手に、松家は「やっと、こいつを着ることができる」と心の中で小さくつぶやいた。

(第3回に続く)
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<松家卓弘(まつか・たかひろ)プロフィール>
 1982年7月29日、香川県香川市出身。高松高校時代、2年秋の四国大会でベスト4.東京大学に進学し、2年春に初登板、4年春に初勝利を上げた。大学通算25試合に登板し3勝17敗。04年ドラフト9巡目で横浜ベイスターズに入団。1年目に1軍に昇格するものの、2年目以降は2軍での生活が続く。5年目の09年6月7日に1軍に登録され、6月10日対北海道日本ハム戦でプロ初登板を果たす。身長184センチ、85キロ。右投げ右打ち。背番号32。






(大山暁生)
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