東京6大学野球では、東大の2年生エースとして秋季大会から神宮のマウンドに立った。その頃はいわゆる“松坂世代”が4年生にいる時期。後にプロの一線級で戦うことになる選手たちがレベルの高い争いを繰り広げていた。
 その中でも、プロのスカウトたちから最も熱い視線を受けていたのが、早稲田大学のエース和田毅だった。今年3月に行なわれた国・地域別対抗戦WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)にも出場した彼は、6大学では27勝を挙げ、スター選手への階段を歩んでいた。

 2年先輩の和田と松家は大学時代、一緒に食事をする機会をもった。その際、松家は和田から貴重なアドバイスを受けている。登板日にあわせて逆算していく調整法やシーズンオフでの走りこみ方など、東大では学ぶことのできないことを、和田から伝授してもらった。良き指導者、手本となる先輩がいないこと――。これが東大時代の松家の大きな悩みの一つだった。相談に乗ってくれる人物が周りにいなかったため、調整が後手後手になってしまうこともしばしばあった。大学3年時に右肩を痛めシーズンの大半を棒にふった時や、4年時に右ひじを傷めた時もしっかりと指導を受けることはできなかった。大学に入る前「ピッチャーは一人でも練習できる。環境は関係ない」と考えていた松家。しかし、現実はそう甘くなかった。松家が一人で悩んでいた時に、救いの手を差しのべてくれたのがライバルチームのエースだった和田なのだ。

 和田とは現在も交流があり、シーズンオフの自主トレを一緒に過ごしている。プロで73勝(2009年8月21日現在)を積み重ね、日本を代表する投手となった今でも、沢山の刺激を受けている。

「和田さんは気持ちが強いんです。150キロを超えるボールがあるわけではなく、とんでもない変化球があるわけでもない。しかし、それでも打者をねじ伏せるようなピッチングができる。最もすごいと思う点は、ここ一番で投げるボールが素晴らしいんです。その強さが和田さんの武器ですよね。

 そして、なによりもすごい量の練習をする。一緒にやらせていただいている自主トレでもめちゃめちゃ色々なことをしています。あの練習が、ここ一番での強さを支えているんだと思います」

 和田からは変化球の握りについてアドバイスをもらうことがある。しかし「色々教えてもらっているんですけどね、僕にはあわないようです(苦笑)。“これでホンマに曲がるんですか?”とか冗談交じりに言っています。タイプや投げ方が違いますから、和田さんの技術をそっくりそのまま真似してみても違うんですね。和田さんは本当に色々なボールを持っている。そんな人でも試合に使えるものはわずかなものです。そこまで完成度を高めないと、プロの世界では通用しない。プロの厳しさも和田さんからは教わっています」

 大ベテランの姿勢に感服

 そして、もう一人。松家の手本となる投手がいる。自称“ハマのおじさん”こと通算224勝を挙げている工藤公康だ。今年で46歳になったプロ28年目の大ベテランは、一昨年から横浜に入団、昨年の大半は湘南シーレックスの練習場で一緒に汗を流した。松家のみならず、多くの若手にとって生きた教材が目の前にいたのだ。

 松家は工藤から常に言われつづけていることがある。それは「オマエの武器はボールの強さだ」という言葉。球速の問題ではなく、松家の球には力がある。自信をもって投げ込んでいけば簡単に打たれることはない。工藤は松家にそう伝えたかったのだ。

「“力のあるボールを真ん中に放って、ちょっと曲がってちょっと落ちればそれでいいんだよ”と言ってもらっています。たしかにその通りかもしれません。ただ、言葉で言うのは簡単ですが、そんな器用にはいかないですよね。でも、工藤さんの言葉から自分のよさを前面に出していこうと考えるようになりました」

 工藤からは投球についての助言以外でも様々なことを聞いた。昨年の夏場、松家が調子を崩し体が重いと感じた時、工藤の傍へ歩み寄り助言を求めた。

 返ってきた工藤の答えは「練習前に30分間、ロングジョグをすること」。下半身の動きが鈍くなっている時、工藤自身が実践している調整法だった。これを耳にした松家はすぐさまアドバイス通り、ロングジョグを欠かさず行なった。すると、それまで疲れを抱えていた下半身がウソのようにキレを取り戻した。

「工藤さんは助言を求めに行けば参考になることを教えてくれる。本当に参考にしています」と松家。湘南の選手にとって、工藤の在籍は無形の財産となっている。工藤がファームで奮闘する姿は、松家の目にはどう映ったのだろうか。

「46歳という年齢であれだけ走ることができるのは本当にすごいと思います。そして自分に対する追い込み方が半端ではない。僕らの年齢でできることと、工藤さんの年齢でできることは変わってくると思いますが、追い込み方については僕らの比ではない。その姿勢は本当に尊敬します。実戦では工藤さんが投げたボールについては、どんな気持ちで投げたのかとか、自分だったらこうすると組み立てを考える上で大いに参考にさせていただいています」

 やはり工藤が湘南のユニフォームを着ていたころは大きな影響を与えたのか?
「話の聞き方にもよると思います。刺激を受けた選手がいる一方、なにも得ることができなかった人もいるんじゃないですか。工藤さんの話す言葉の中には沢山のものが隠れています。その中からヒントを引っ張り出せるか出せないかは聞き手次第ですから。若手の選手ではわからない何かを僕自身が掴んでいればいいんですけどね(笑)。工藤さんの言葉から得たものをこれからのマウンドで表現していきます」

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<松家卓弘(まつか・たかひろ)プロフィール>
 1982年7月29日、香川県香川市出身。高松高校時代、2年秋の四国大会でベスト4.東京大学に進学し、2年春に初登板、4年春に初勝利を上げた。大学通算25試合に登板し3勝17敗。04年ドラフト9巡目で横浜ベイスターズに入団。1年目に1軍に昇格するものの、2年目以降は2軍での生活が続く。5年目の09年6月7日に1軍に登録され、6月10日対北海道日本ハム戦でプロ初登板を果たす。身長184センチ、85キロ。右投げ右打ち。背番号32。






(大山暁生)
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